プロフィール

名前: ピースケ
性別: シュレディンガーの猫
種類: 会社役員
生息場所: 北海道江別市
体長: 1764mm
乾燥重量: 約25kg
作成日時: 1984年6月8日 7時00分


以下、細かなプロフィールです

概要をクリック(タップ)すると、詳しい説明が表示されます。

ハンドルネームの由来

「ピースケ」はもともと飼っていたセキセイインコの名前でした。

幼少期、私は絵を描くことが好きでした。マンガを描いていたのですが、この時に使っていたペンネームが「ピースケII」でした。
「ピースケ」は、当時飼っていたセキセイインコの名前です。そのしもべである私が「ピースケII」と名乗らせてもらっている、という構図でした。
時が経ち、ピースケが天国へ旅立ったので、名前を受け継ぐ形で「II」を外し、「ピースケ」を名乗るようになりました。
ちなみに、ピースケ(初代)は12〜14年ほど生きていたと記憶しています。セキセイインコとしては長寿でした。
なお、マンガについては才能が皆無だと気づき、やがて描くことをやめました。

趣味の熟成

もともと電気・電子への興味があり、やがてパソコンと出会いました。

きっかけは思い出せませんが、小学校高学年あたりから電気・電子に興味を持ったようです。
近所のホームセンターに売っていた電子工作キットを組み立ててみたり、自室の照明スイッチをワイドハンドル型に交換してみたり。
なお、当時は電気工事士の免許を取得していなかったため、今となって思えば電気工事士法違反だと認識していますが、時効だと思って告白していますw

また、自宅には親が使うためのワープロがありまして。それを何か面白いことに使えないかと、いじり倒していた記憶があります。

そして、人生の転機が静かに訪れます。
1997年の冬。自宅へのパソコンの導入でした。
これもまた、親が仕事で使う目的が半分であったと記憶していますが、もう半分は「これからはパソコンの時代が来る。今のうちに慣れなければならない!」という教育方針のためでした。
この方針に兄は戸惑い、こんな未知の機械、迂闊に触ったら爆発するんじゃないか、みたいな恐怖心を覚えながら操作していた、と、のちに述懐していました。
一方の私は、ワープロでちょっと面白いことができていたので、それを試そうと思って失敗したり、翌年にお年玉でMicrosoft Visual C++ 6.0を買ってきてインストールするも、使い方がわからず悶絶したり、そんなことをしていました。
要するにただの怖いもの知らずだったわけですねw

プログラミングについて

Windowsで動くヤツを作ってみたい! その夢を打ち砕いたのは、たった2文字の入力ミスでした。

前項でのVisual C++の使い方がわからなかったという話ですが、これには続きがあります。
使い方がわからないので放置していたところ、ゴミステーション(※1)にVisual C++ 5.0の入門書が捨ててあったのを発見しました。

※1 ゴミステーション:ゴミ収集車が家庭ごみを回収してくれる、あの場所のこと。北海道以外でもそう呼ぶ地域があるのかな?

そこで、紐を解いてその一冊だけいただきました。
なお、今となって思えばゴミステーションからの無断での持ち帰りは何かしらの罪になると認識していますが、時効だと思って告白していますw

すると、どうでしょう。
Visual C++を購入した当初は何をすればよいのか全くわからなかったのに、その本には「これを選んで、こう入力して」みたいなことが丁寧に書かれているのです。
もちろん、バージョンの違いがあるのでそこは読み替える工夫は必要でしたが。
夢中で読み、コンソールで動くサンプルプログラムを打ち込んでは、「動いた!」と喜んでいました。

が、やはり私が作りたいものはWindowsで動くアプリケーションでした。

そこで、途中の章を読み飛ばして「CDプレーヤーの作成」という章に取り掛かりました。
すごく長いソースを打ち込んで、いざコンパイルしたところ、得られた結果はコンパイルエラーの嵐でした。
この時は「Visual C++のバージョンが違うから、本が対応していないんだ」と思い込んでしまい、Windowsアプリケーションの制作を諦めてしまいました。

後になって発覚したのですが、結局のところ、型の「UINT」を「UNIT」と勘違いして入力していただけでしたw

Visual Basicとの出会い

Windowsで動くヤツが自分で初めて作れた瞬間が訪れました。

こんな私ですが、一応高校には進学できました。といっても、市内で最も偏差値の低い高校でしたがw
でも、やりたいことは明確にありました。
その学校にはコンピューター部がある、と。そこで活動をしたいと強い思いがありました。
なお、先ほど出てきた「パソコンって、下手に触ったら爆発するんじゃないか?」って言っていた兄が、その部に在籍していたのです。
ただ、特に兄の後を追いかけたいと思っていたわけではなく、学校でパソコン触れたら超良くね?って思っただけでしたw

部活動をしているときに、同級生がとあるソフトを持ってきました。
Microsoft Visual Basic 6.0です。
彼はこのソフトを学校のパソコンにインストールし、ささっとプログラムを作って見せました。
それも、Windowsで動くアプリケーションです。

「すげー!! どうやってやったの!? 教えて!!」

私は、すがるように教えを乞いました。
すると、彼は「簡単だよ。画像をここに置いて、タイマーをここに置いて、こうするだけ」
そう言って実行ボタンを押すと、ウィンドウが出てきて、そこに表示された画像は時間とともに下降していきました。

魔法を見ているようでした。

それから、インターネットでVisual Basicの使い方を探し回ったり、市立図書館に行って専門書を借りてきたりなど、とにかく遊び倒しました。

なので、私の第2言語はVisual Basicですw

マルチリンガルへのあゆみ

プログラミング言語の話ですw ひとつ覚えると、他のものもなんとかなります。

Visual Basicが第2言語になった頃、Visual C++も使えるようになりたいと思って例の本を読み直しました。すると、当時はただの写経だったのですが、意味を考えながらタイピングすることができていました。
前に出てきたCDプレーヤーですが、結果的には動作するところまでたどり着くことができました。
そこから面白くなり、CやC++についても遊び倒すようになり、やがて私の第3言語はC/C++になりましたw
ちなみに、C++でWindowsのアプリケーションを作成するのに一番参考にしたのは、「猫でもわかるプログラミング」でした。
この著者って、お医者様だったんですね。最近のネット記事で知りましたw

なお、あの「オナ禁タイマー」はWindows xpの時代にリリースされ、大きな改変もないままWindows 11でも動作します。
それを可能としているのは、この時習得したWindows API直叩きでのアプリケーション制作の技術でできているためです。

高校卒業後は東京にある情報系の専門学校に進学し、本格的に情報処理について学びました。
ただ、上京した当初は秋葉原が楽しすぎて、学校にロクに行かなかった時期があります。
その時期にJavaの授業が始まっていたみたいなのですが、知らんぷりでした。
で、久々に学校に行ってみると、ちょうどその日にJavaの中間テストがありました。わかる範囲で解答欄を埋め、提出して帰りました。
後日、答案用紙の返却の際に先生が複雑な表情をしていたのですが、気づかないふりをして受け取ったその右上に「100/100」の表記がありました。
先生ごめんなさいw

こんな話をしていて説得力がないかもしれませんが、専門学校での授業が全く意味のないものであった、というわけではありません。
秋葉原などの誘惑の断ち切り方を徐々に覚えていき、授業を受けることが多くなってきた頃、Linuxサーバーを構築する実習がありました。
当時、サーバーを自分で構築するなんて想像だにしていなかったので、その技術にのめり込んでいきました。そこから、ネットワークの構築などにも興味が広がっていったと感じています。

なお、専門学校の卒業時に出席日数が圧倒的に足りていないことを告げられました。
が、就職が決まっていることを理由に、お目こぼしをいただきましたw

コンピューター部について

入部してみたらゲーム部だったので、1年生のうちに部長になって改革しました。

すごく楽しみにしていたコンピューター部(通称コン部)でしたが、実態を目の当たりにするとゲーム部でした。
誰一人として、パソコンを実務で使えるような活動をしていませんでした。
なお、既存の構成人員は3年生が5人ほど、2年生が1人だったと記憶しています。
そこに1年生が5〜6人ほど入った形となり、その半数以上が既存の体制に染まりそうだった夏の頃、当時の部長に直談判に行きました。

私「ゴボー(※2)。部長譲って。受験大変でしょ?」
部長「うん、いいよ」

※2 ゴボー:当時の部長。3年生。兄の友人。ヒョロ長いことから、そう呼称されていた。

そこから、部活動開始後の最低1時間はタイピングの練習をしたり、オフィススイートの使い方を勉強したりする時間を設けるなどして、徐々に部活動としての体を成すよう改革していきました。

私が3年生になる頃には、体育祭のパンフレット制作の手伝いを任されたりしました。
確か、グラウンドの図面のページをWordで作って欲しい、という依頼だったと記憶しています。

バイクについて

高校時代、札幌まで自転車で片道25km。やがて動力付きの乗り物を求めるようになりました。

高校生の頃、月に何回か友人と札幌の中心街まで行っていたのですが、電車代を浮かせるために自転車で行っていました。
距離は約25km。片道1時間半ほどかかったと記憶しています。

高校3年の頃、運転免許の取得が視野に入った時、電動スクーターなる存在を知りました。
この時、すでに東京の専門学校に進学することが仮決定していたので、車なんて持てないだろうな、と思っていたところでした。自動車の運転免許を取得すると、ついでに原動機付自転車も運転できることを聞いていました。

なので、東京に行って、余裕があったらそれを買おうと思っていたのです。
が、保安基準というものがあり、灯火類などが不十分で番号標識(ナンバープレート)の交付ができない、という情報を得ました。
じゃあ、付けたらいいんじゃないか、ということで色々調べました。
今でもそのブックマーク、ブラウザに代々いるかもしれませんw

時が経ち、東京に引っ越してからちょっと余裕が出てきた頃。コンビニで『Goo Bike』を試しに買い、読んでみたら、近所に安い原付が売っているショップを見つけました。
学校が休みの日に行ってみると、いろいろなバイクがあり、目移りしていたところに店員さんが話しかけてきました。
結果、普通の2ストロークの原付(YAMAHA JOG・年式や型式は忘れました)を買いましたw
今となって思えば、当時の電動スクーターって、遅い上にバッテリーの問題で長距離を走れなかったと思うので、これでよかったと思っています。

なお、専門学校在学中に180,000円を拾いまして。
これは時効でもなんでもなく、きちんと交番に届けました(過去の日記に書いています)。6ヶ月間経過しても落とし主が現れなかったので、ありがたく頂戴しました。
そのお金で普通自動二輪運転免許を取得しました。

その後は400ccと50ccを行ったり来たりしながら、現在はHonda CB400 Super Four Hyper VTEC Spec IIIに乗っています。

仕事について

会社員16年→自営業5年→代表取締役。全て情報処理系の会社です。

専門学校を卒業後、千葉県にある会社に就職しました。
ここには7年間お世話になりました。

次に、東京都にある会社に転職しました。
ここにも7年間お世話になりました。
なお、この会社に在籍していた最後の半年間は、北海道の会社に常駐させていただく形となりました。
なので、私の関東生活は、専門学校2年+最初の会社7年+次の会社6年半の、合計15年半でした。

その次は、札幌にある会社に転職しました。
ここには、火消しの目的で入社したと言っても過言ではありませんでした。
入社直後、担当となった業務は前任者が燃やした案件でした。
その案件には3人チームで取り組み、ココロが何度も折れそうになりながらも、なんとか円満にシステム稼働まで漕ぎ着けました。
その案件終了後、すぐに退職しました。7ヶ月間でした。

その次は、上記の会社で部長をしていた人間が立ち上げた会社に入社しました。
この場合、入社というのかわかりませんが、一応、名ばかりの取締役でした。
で、上記の会社に入社する時点でこの流れは決まっていたようなものでした。
というのも、この会社の社長となった人間から「1年以内に会社を立ち上げるから、まずは今、俺がいる会社に入ってくれ」と誘われていたのです。
この会社は色々と色々でしたが、結局1年半ほど在籍していました。
なお、退職時に発覚したのですが、いつの間にか私は取締役ではなくなっていました。

その次は、自営業を始めました。
5年間ほど、さまざまなお客様とお話しさせていただいたり、作ったシステムの実証実験のお手伝いをしていただいたり、会社員時代ではできないことをたくさん経験しました。

そして、会社を立ち上げて現在に至ります。
代表取締役、ね。誰かがやらなきゃいけないもんねw


以上、プロフィールと言いながら半生を語ってしまった感じになりますが、ピースケってこんな奴です。

ちなみに、過去の日記と同じような感じで過去のプロフィールも置いておきます。