「馬鹿じゃん」
	部屋に来た和馬に、はるかが今朝の事を話すと、第一声でそう言った。
	「うわ、ひどーい」
	彼女は眉を立てて抗議する。が、呆れた顔で続けた。
	「だってよ。 普通、顔とか確認するだろ?」
	「う…。 だって、元に戻ってるものだと思ったんだもん…」
	早くも言い返すのが困難になってきたようだ。
	「だろう運転は事故の元。 道路じゃなくてよかったな」
	「うぅ~。 運転じゃないし…」
	「ほら、唸ってないでバイト行くぞ」
	そう言い、立ち上がる。
	「………うん」
	はるかは、しばらくして応答し、立ち上がった。
	午後十時半。惰性で時間が進むころ。
	この姿のはるかもこの場に馴染んで、楽しそうに談笑している。その中で、和馬は提案する。
	「なぁ。 今度の日曜、開いてる奴で海でも行かねぇ?」
	「あー、いいねぇ」
	優はすぐに反応した。
	ほか数人も了承し、シフト外の人にもメールで確認する。
	結局、男女各三人が参加することになった。
	「あ、どうしよう…。 僕、水着持ってない…」
	はるかは、思い出したようにそう言った。すると、その横から、今回不参加の男が声をかける。
	「最近、海とか行かなかったの?」
	「うん。 機会がなかったからね」
	「でも、学生の頃の残ってないの? たとえばスクール水…――」
	彼が言い終わる前に、鉄拳が飛んだ。
	「馬鹿二号って呼ぶわよ?」
	それの主は優だった。その横で、彼と同じく不参加の女が腰に手を当てて言う。
	「あんたってロリコン? サイテー」
	その言葉は彼の胸に深く突き刺さったらしく、壁際に行き、うなだれた。
	優はそれを無視し、言う。
	「土曜日にでも買いに行こうよ。 開いてるよね?」
	「あ、うん。 じゃあ、お願いね」
	馬鹿二号候補は壁にのの字を書き続けていた。
	日曜日。和馬は海へと車を走らせる。
	「大谷くんって車持ってたんだ?」
	後部座席の大橋がそう言った。
	「まさか…。 埼玉におじさんが居るから、借りたんだよ」
	「あ、そうだったんだー」
	彼女は、前にのめりだしていた体を元に戻した。続いて、深山が言う。
	「で、どれぐらいで着くんだ?」
	「そうだな…。 道路の込み具合にも因るけど、三、四時間かな?」
	「結構かかるんだな」
	前方の信号が赤になったので、ブレーキを踏む。
	「まぁ、せっかく行くんだし遠くのほうがいいだろ」
	「それもそうだな」
	二時間後、コンビニ前に和馬は車を止めた。
	運転席からのそりと降り、背伸びをした。
	「つ、疲れたぁー…」
	そこに、坂口が来る。
	「俺、免許証持ってきてるけど、代わろうか?」
	「お前、普通免持ってたのか」
	彼はその言葉にむっとし、財布から免許証を取り出し、こちらに突きつけた。
	「馬鹿にすんな。 ほれっ」
	それには、しっかりと「普通」の文字が刻まれていた。
	「ん。 じゃあ頼むわ」
	和馬はそう言い、キーを彼に渡した。
	その後、コンビニで飲み物などを買い、車に戻った。
	「じゃ、出すぞー」
	坂口はハンドルを握り、皆にそう告げた。そして、ハンドルを切りながら後方を見て頃合を計る。
	車列が切れ、時機が来ると、彼はアクセルをベタ踏みした。
	彼と同じく後方を覗き見ていた和馬は、シートに叩きつけられた。
	「ぐっ…! お前、急加速しすぎ!」
	「あ、悪い」
	「って、信号、赤!」
	「あぁー」
	のほほんとそう答え、急ブレーキ。今度は前につんのめり、ロックされたシートベルトで胸を締め付けられる。
	「がはっ………!」
	しばらく、息ができなかった。
	「っ…! アホっ! なんつー運転だっ!」
	「いやー、車、久々に運転したから」
	後部座席の人たちは慌てた。
	「し、シートベルトどこだぁ!?」
	「いやぁっ! まだ死にたくないよぉ!」
	和馬は、怒りを通り越して呆れ返っていた。
	「ったく…。 あ、ここ左な」
	「おう」
	坂口はウインカーを点ける。やがて、信号は青に変わった。
	今度は、ゆっくりと発進。左へと曲がっていき、第三車線に入った。
	和馬は、違和感を覚える。その原因はすぐにわかった。
	「こ、ここ片側二車線! こっちは対向車線だっ!」
	前方からは対向車が来ていた。
	「え? あっ」
	それを目視した坂口は、慌ててハンドルを切る。皆は大きく右に傾いた。
	「…止まれ。 今すぐ」
	「えぁ? なんで?」
	和馬は、形相を変える。
	「い、い、か、ら!」
	「はいはい…」
	坂口は、路側帯に車を寄せ、そこに止めた。止まるなり、和馬は運転席側に回り、ドアを開け放った。
	「俺らを殺す気かっ!」
	彼は殺気立ち、そう言った。
	「いやぁ、悪い悪い。 原付の癖が出ちまって」
	「こんなんでも普段道路出てるのかよ。 事故って死んでしまえっ!」
	和馬はそう言い、坂口を引きずり出し、運転席に乗り込んだ。
	午前十時。一行は海へと着いた。
	荷物を持って、砂浜へと歩く。場所を確保し、ビニールシートを広げると同時に、和馬はそこに横たわった。
	「じゃあ、あたしら着替えてくるねー」
	優はそう言い、ほか二人を引き連れて更衣室へと向かった。
	「俺らも海パンに着替えるか」
	「だな」
	深山は、下を向いた。
	「大谷は?」
	「あー、荷物番してるわ」
	「そうか」
	彼はそう言い、二人は更衣室へ向かった。和馬は倒れたまま、雲の流れを追った。
	しばらくして、後に行った二人が戻ってくる。
	「サンキュー。 行ってきていいぞ」
	「おぅ」
	和馬は身を起こし、カバンを持って更衣室へと向かう。
	手早く着替えを済ませ、そこを出た。
	すると、ちょうど彼女たちが出てくるところだった。
	「遅いな、お前ら」
	「そう? こんなものだよ?」
	優はさらりと言った。その横に他二人が並んだ。
	「ふーん。 そうなのか…?」
	はるかのほうを向き、そう聞く。
	「うん。 なかなか時間かかっちゃうんだよねー」
	彼女はそう言い、髪をかき上げた。
	太陽の光が反射し、散り散りになった光で網膜を刺激される。
	和馬は、思わず目を伏せると、はるかの露出した体が目に入った。
	小さいながらも、その存在を誇張するかのように揺れる胸。
	はっきりとしたくびれのある腰。
	やわらかそうに脂肪のついたヒップ。
	「………」
	和馬は、見ていられなくなり、目を逸らした。
	その目線の先にも、同様に揺れる胸が二組。
	カラフルな布が、さらにその存在を際立たせていた。
	「……あー…」
	とうとう目のやり場に困り、和馬は空を仰いだ。
	「どしたの? カズちゃん」
	はるかは、きょとんとした声で聞いた。
	「なんでもねぇ…」
	「エッチなことでも考えてたんじゃないの?」
	優は、いたずらそうに笑い、そう言った。
	「んなこたねぇって…」
	和馬にとっては、ようやくといった時間を経て、元の場所に戻った。彼女たちは、ビーチボールを抱えて早速海へと向かった。
	ビニールシートの上にあぐらをかき、頬杖をついてそれを見る。彼女たちは楽しそうにはしゃいでいる。
	それを、しばらく眺めていると、横から坂口の声が聞こえた。
	「夏は女を開放的にさせる。 はぁ…、見てみろ、あの白い肌。 細い体。 揺れる髪。 それらを惜しげもなく晒しているではないか。
	帰る頃にはあの肌が小麦色に焼けるんだなぁ。 波と戯れる天使たち。 踊る飛沫。 あぁ、なんてすばらしい光景なんだ…」
	深山は、後ずさりでこちらに向かってきて、言う。
	「おい…。 馬鹿一号が何かのたまっているが…」
	「ほっとけ。 奴は他人だ」
	そう言い、視線を彼女たちのほうへ戻すと、はるかが駆け寄ってくるのが見えた。
	「ん? どうした?」
	目の前まで来たはるかにそう言った。
	「カズちゃんたちも行こうよ」
	「あぁ…、俺は…」
	和馬が拒否しようとすると、彼女は二人の腕を掴み、引っ張る。
	「いいからー」
	「あー、はいはい…」
	掴まれた腕と反対の手で、後頭部を掻いて、そう言った。
	深山は、先ほどまで坂口がいた場所を見た。
	「あれ? 馬鹿は?」
	「ほらっ! 早く来いよー♪」
	彼は、海を背に手招きをしていた。
	「……うわぁ…」
	それを見た三人は、同時に同じ台詞を口にした。
	十二時半。六人は海の家で昼食をとっている。
	「ねぇ。 スイカ割りしたくない?」
	はるかは、レンゲを食べ終わったチャーハンの皿の上に置いてそう言った。
	「いいねー。 でも、スイカは売ってそうだけど…」
	優はそう言い、あごに手を当てた。深山は彼女の言うことを察し、言う。
	「バットか木の棒、か?」
	「うん…」
	「じゃあ、僕が探してくるよ」
	はるかはそう言い、立ち上がった。
	「あー、じゃあ俺も行くわ」
	そう言い、和馬は彼女に続いた。
	五、六件の海の家を覗いてみたが、やはりスイカ割りに適した棒は見当たらなかった。
	「ないねぇ…」
	はるかは、半ば諦めの様子でそう言った。
	「だな…」
	和馬も、彼女と同様だった。だが、ふと横に目をやると、あるものが目に入った。
	「あれじゃ、ダメか?」
	和馬が指を指す先には、軟質プラスチック製のバットのおもちゃだった。
	二人は、その店先に寄った。はるかはそのバットを手に取り、感触を確かめた。
	「うーん…、まぁ、大丈夫かも。 当たってもスイカが割れなさそうだから、みんなができるしね」
	「それもそうだな」
	結局それを買い、戻る途中でスイカも買った。
	ビニールシートを広げた場所まで戻ると、ほかの四人が雑談をしていた。
	「おぅ。 何とかあったぞ」
	「じゃ、早速始めるか」
	深山は立ち上がり、おもむろに坂口に目隠しをした。
	「えぁ? 最初が俺?」
	「なんとなくな」
	そう言い、彼は坂口の後頭部に結び目を作った。
	和馬は、五メートルほど先にスイカを置いて、戻ってくると、大橋は言う。
	「じゃ、回そー」
	彼女は、坂口の肩に手を当てて半回転させる。
	続いて、優も彼を回し始める。
	やがて全員が参加し、一分間近く回し続ける。
	「お、おい…っ! もういいだろ…」
	耐え切れなくなった坂口は呂律が回らない口でそう言った。
	「おぉ。 面白くて調子こいちまった」
	深山のその言葉で、皆がいっせいに手を離す。
	「う、うわ…っ」
	坂口は、糸が切れた凧のように回りながらスイカに近づいていった。
	「もっと左だー」
	和馬は大声で言う。
	「お、おぅ」
	坂口はそう言い、右に寄った。
	「そっちは右でしょっ!」
	優が突込みを入れると、彼はふらふらと左に寄った。
	そこで、彼はちょうどいいところに立った。
	「そこだよー」
	はるかがそう言うと、彼はぴたりと止まった。
	「ここか。 よし」
	そう言い、バットを振り上げる。
	「うらぁっ!」
	勢いよく振り下ろす。が、手に持ったバットはすっぽ抜けて、前方に飛んでいった。
	勢い余った坂口はその場に転んだ。
	「やっぱり、奴にスイカを割ることはできなかったか…」
	深山は、腕を組んでそう言った。
	三人目、大橋がバットを振り下ろす。が、スイカは割れなかった。
	「あーん、当たったのにぃ…」
	そう言い、彼女は目隠しを取りながら戻ってきた。
	「じゃ、次は俺だな」
	じゃんけんでこの順番となった深山は、一歩前進して言い、大橋から目隠しとバットを受け取る。
	ほかの五人は彼を回した。坂口と同様、一分近く回す。
	「こんなもんだろ」
	和馬はそう言い、彼の背中を軽く押した。
	彼はふらふらしながらも真っ直ぐ進んでいった。
	「お、おい。 あいつ凄くねぇか?」
	和馬がそう言うと、はるかは頷いた。
	「うん。 足取りに狂いがないよ…」
	そう言いつつ見守っていると、彼はスイカの前でぴたりと足を止めた。
	彼は深呼吸を一つ。
	そして、ティーショットのようにバットをスイカに当てた。
	スイカは、真っ二つに割れていた。
	「凄い…」
	優は呆然としながらそう言った。
	「任せろ。 こんなの朝飯前だ」
	深山は目隠しを取りながら言った。
	スイカを食べ終わり、皆は再び海で遊び始めた。
	空は夕暮れの色を見せている。
	そのうち、和馬ははるかが見当たらないことに気づいた。
	辺りを見回すと、岩場に人影が見えた。
	そこに行くと、はるかが体育座りをして遠くを見つめていた。
	和馬は、静かにその左側に腰を掛けた。
	ふと見ると、はるかの頬は紅色に染まっていた。
	それは夕日でそう見えるのか、それとも、彼女の頬がそうなっているのか、区別がつかなかった。
	彼女の顔はどことなく悲しげだった。
	和馬は、彼女の右肩に手を伸ばす。
	が、やめる。
	でも、また手を伸ばす。
	それを繰り返すうちに、はるかは目線をそのままに、口を開いた。
	「ねぇ、カズちゃん…」
	和馬は必要以上に驚き、彼女の後ろ側に手を置いた。
	「な、何だ…?」
	「ごめんね。 いろいろと。 僕がこうなっちゃって、戸惑ってるでしょ?」
	「………」
	彼は何も言えなかった。戸惑っていない、と言うと嘘になる。
	だが、今までどおりの付き合い方を、と、心がけていた。
	「最近のカズちゃん、何か変だったし…。 迷惑…、だよね?」
	和馬は、ふっ、と息を漏らし、微笑した。
	「ばーか」
	そう言いながら、置いた手をはるかの頭の上にやった。
	「迷惑なら避けてるって。 あんまり気にするなよ」
	そして、その手で彼女の頭をくしくしと撫でた。
	「じゃ、みんなのところに戻るぞ」
	「…うんっ」
	午後七時。
	六人は近くのコンビニで買ってきた花火をしている。
	和馬は、水平に、坂口に向けたロケット花火に火をつけた。
	それは意図したほうに飛び、命中した。
	「痛てぇ! な、なんだぁ!?」
	和馬と深山は爆笑し、もう一本のロケット花火に火をつけた。もちろん矛先は坂口だ。
	二発目は、彼の腹に命中。彼は腹を抱えるようにしてその場に倒れた。
	「ぐっ…! お、お前ら、覚えとけよ…」
	女三人は和馬たちの近くで静かに手持ち花火をしていた。
	「痛そう…」
	そのうちのはるかはそう言った。
	「でも、男のままだったらあれに参加してたでしょ?」
	小声で、優は言った。
	「うーん…。 た、多分…」
	「じゃ、あたしも行こうっと」
	そう言い、彼女は新しい手持ち花火を持って立ち上がった。
	倒れている坂口の近くに行き、火をつける。
	その火花は華麗に散り、彼に降り注いだ。
	「あ、あちっ! 馬鹿! 火傷するだろ!」
	「大丈夫だって、きっと」
	はるかは優の後ろに立った。
	「も、もうやめようよー…」
	「くそっ! お前ら俺に何か恨みでもあるのか!」
	坂口はそう叫びながら立つ。
	そこに、タイミングよく三発目のロケット花火が彼の背中に命中した。
	「さっきのお前の運転で俺らは死にそうになったんだ」
	和馬は仁王立ちで言う。
	「まだ引きずってるのかよ…。 おっと…」
	坂口は、足元がふらついて倒れかけた。とっさに何かを掴む。
	が、それは体重を支えきれるものではなかったらしく、うつぶせに倒れた。
	「…痛ってぇ…」
	彼はそう言い、先ほど掴んだものを確認する。
	紐だった。
	いや、その先には何かがついていた。
	三角形。
	「あ、あの…。 それ、僕の…」
	上から声を掛けるのははるかだった。
	両の腕で胸を覆い隠している。
	「うほっ」
	「大谷君。 ロケット花火もう一発」
	優は坂口を見下ろし、そう言った。
	午後十時。帰りの車中。
	聞こえるのは、ロードノイズ、音量を絞ったラジオ、そして五人の寝息のみだった。
	和馬は信号待ちで、ふと、助手席のはるかの寝顔を見る。
	「あんなことを考えていたのか…」
	そう、彼はぽつりと呟き、思考を巡らせる。
	確かに、最初は戸惑った。
	だけど、この姿が普通と思えるようになった。
	いたずら半分だろう彼女の行動も、誘惑されていると錯覚してしまう。
	バイトで知り合った友達として、割と長く行動を共にしている。
	考え方にも共感できる。
	ただ単に、それが男だっただけだ。
	もし、知り合ったときから女だったら。
	…今は恋人として付き合っていたのかもしれない。
	「元に戻らないのなら、いっそ…」
	考えの最後は、言葉に出てしまっていた。
	小恥ずかしくなりアクセルを更に開ける。
	しばらくそのまま走っていると、はるかが身じろぎをし、和馬のほうを向いた。
	「あ…、ごめん。 いつの間にか寝ちゃってたみたい」
	彼女は、目を擦りながらそう言った。和馬は苦笑し、言う。
	「いや。 気にするな」
	「今日はありがとう。 帰ったら飲もうか?」
	「お前、すぐ酔うしなぁ」
	からかうように言う。
	「きょ、今日は大丈夫だよっ! ……多分…」
	彼女は、自信がなさそうに語尾を弱めてそう言った。
	「そうか。 じゃあ、そうするか」
	「うんっ」
	窓の外のビルの森の高さと密度は、次第に高くなっていく。それは都心に近づいているということを表していた。
	休息の時から普段の生活へ、徐々に誘われていく様な感覚だった。
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