二人は、バイトが終わり、並んで帰り道を歩く。街路灯の明かりにつられた虫たちが、その下を舞っていた。
和馬は、歩調をはるかのそれにぎこちなく合わせている。
「ねぇ、カズちゃん、明日空いてる?」
はるかは、少し見上げ気味に彼の顔を見て、そう尋ねた。
「明日か。 昼からなら」
「じゃあさ、アメ横行こうよ。 服とか見たいから」
和馬は、少し苦笑し、言う。
「…今から日暮里のダチの所行くんだよ。 帰り道だし、ちょうどいいな」
はるかも、つられて笑う。
「そうだねー」
ここで、和馬の家へと続く分かれ道のところに着いた。
「んじゃ、また明日」
和馬は、角を曲がりながら、顔だけこちらに向けて言った。
「うん。 じゃねー」
そう言い、はるかも家へと向かい、歩いていった。

 

次の日。 はるかは窓から差し込む光に起こされた。
ゆっくりと上体を起こし、目を擦る。
そして、軽く息を吸って、大きく伸びた。
布団の近くに置いてあったリモコンでテレビの電源をつけ、立ち上がった。
洗面台に歯ブラシ、玄関に新聞をそれぞれ取りに行き、部屋に戻った。
歯を磨き終わり、口をゆすいで再び部屋に戻ると、テレビは占いのコーナーを映し出していた。
『今日の第一位は、蟹座です。 おめでとうございます』
アナウンサーはそう告げていた。 はるかは、自分の星座がそれだと思い出した。
「今日は、何かいいことありそう♪」
誰に向けるでもなく、笑顔を作り、そう言った。
やがて無性に悲しくなり、『くずおれる男』の格好をした。

 

午前十二時半。 はるかは身支度を整え、玄関に立った。
バッグの中を見て、忘れ物がないことを確認すると、それを肩に掛けた。
そのとき、はるかは何かを思い出したかのように、
「あっ」
と、小さく呟き、台所へと向かい、ガスの元栓を締めた。
そして、玄関から外へと出る。 施錠をし、それの確認をして、階段を下り、駅へと向かって歩き出した。
しばらく歩いていると、後ろから郵便のバイクが来た。 道路を横断していた猫は、小走りで渡りきっていった。
ここまで、はるかは終始上機嫌だった。 占いの結果が良かったからだ。
(占いなんて気にしてなかったのに…)
はるかは、そう心の中で呟き、こっそりと苦笑し、駅の中へと入っていった。
切符を買い、改札を通って、階段を上る。 電車は先ほど出たばかりらしく、床の乗り口表示のところで次の電車の到着を待った。
程なくしてそれは到着し、降りる人が途絶えるなり乗り込む。
座席は埋まっており、反対側のドア付近の手すりにつかまった。
はるかの後に続いて沢山の乗客が乗り込んでくる。 車内は混雑した。
しばらくするとドアが閉まり、電車は動き出した。
山手線を半周ほどするのに、立ちっぱなしは辛い。
品川あたりで半分ぐらいの人が降りてくれないかな、とはるかは思った。
しばらく揺られていると、体の妙な違和感に気づく。
身じろぎをしてみても、それは消えなかった。
なんだろう、と、トンネルに入って、鏡のようになった電車のドアガラスで自分の格好を見ても、不自然なところはない。
だが、不自然なのは自分ではなかった。
後ろに立つ中年の男が、異常に近づいているのだ。
トンネルを出て、騒音が収まると、男の荒い息が顕著に聞こえてきた。
感じていた違和感。 それは、物があたっているだけと思っていた臀部を、後ろの男が撫でていたものだった。
はるかは、男を怒鳴りつけようと、息を吸った。
『カチカチカチッ』
聞き覚えのある音。 カッターだった。
吸った息は、行き場をなくし、そのまま止めておくしかなかった。
「おとなしくしてないと、傷つけちゃうよ…ヒヒヒ……」
今までは気にする必要も無かった言葉。 『痴漢』。
自分とは縁遠いものだと思っていた。
それが、こんなに身近にあるなんて…。
止めていた息をゆっくりと吐き出す。
はるかの心臓の鼓動は、次第と早くなっていく。
それに同調するかのように、男の息も荒くなっていく。
電車は止まり、反対側のドアが開く。 更に乗客は増えた。
「…もう、やめてもらえません?」
努めて冷静に、はるかはそう言い放った。
「やめないよ。 ゲヘ」
下品な声と、その口調は、はるかの鳥肌を誘った。
その鳥肌の立った右腕を男は掴むと、何かを握らせた。
生暖かいその感触に、はるかは顔を歪めた。
「擦れ」
掴んだものは、後ろの男の生殖器だった。
「い、嫌っ」
そこに、すっと出される銀の刃。
「大きな声出すんじゃねぇよ。 擦ってくれないと…」
男はそう言い、刃をはるかの頬に軽く数回当てた。
「は、はい…」
はるかは、手をぎこちなく前後に動かした。
「うぉぉ。 そう。 気持ちいいよぉ」
男は小刻みに震えた。
はるかは、握っているものの嫌な感触に、吐き気を覚えた。
近くに居るスーツを着た男がこちらを一瞥したが、すぐにわざとらしく視線を逸らした。
十数分そうしていると、男ははるかの腕を掴み、それを止めさせた。
「すぐ出しちゃうと勿体ないからね。 ハァハァ、ここかい? ここが気持ちいいのかい?」
そう言い、男ははるかの股間を撫でた。
(そこ、違うし…)
男は後ろから手を伸ばしているので、見当違いのところを触っていた。
「ダメだっ! もう我慢できないよ。 擦って、擦って!」
男は、再びはるかに自身のものを握らせた。
諦め半分で、はるかは言われるがまま手を動かした。
「うはぁ、出るっ、出るぞっ!」
男は、はるかの手首を掴み、自ら擦り始めた。
「うっ……くっ…ハァ……」
小さなその声と同時に、はるかの掌に生暖かい、流動体の感触。
「ひゃっ!? え? 何!?」
慌てて、はるかは掌を見た。
そこには、白濁の液体があった。
壁か手すりで拭おうとするが、躊躇う。 間接的とはいえ、公共のものを汚してしまうからだ。
(これ、どうするの…?)
涙目のはるかは、男を睨みつけた。
「ハァ、ハァ…。 飲んでくれよ…」
途方も無い要求だ。 そんなこと、できるはずが無い。
「嫌です…」
「だからぁ…」
男は、すかさずカッターを彼女に突きつけた。
「言うこと聞かないと…」
「………わ、わかりました…」
仕方が無く、その液体が付着した手を、顔に近づける。
不快な臭いが鼻を突く。 はるかは、躊躇し、手を遠ざけた。
(誰か、助けてよぉ…)
涙が彼女の頬を伝う。
「飲まないのかぁ?」
銀の刃は、流れる涙をせき止めた。
行き場を失った雫は刃の先へと流れ、滴った。
意を決したはるかは、液体に口をつけ、それを吸った。
『ジュルッ…ジュッ…』
最悪な食感がはるかの口いっぱいに広がる。
なるべく味を感じないよう、すぐに飲み込もうとするが、口の中に粘りついて、なかなか飲み込めない。
ややしばらくして、喉を通った。
それでも、生臭い後味は残った。
「よくできました。 それじゃ、ご褒美に…」
男はそう言うと、はるかの股間に手を伸ばしてきた。
そのとき、遅すぎるタイミングで、こちら側のドアが開いた。
『上野ー、上野です。 ご乗車ありがとうございます』
「…………っ!」
はるかは、力いっぱい男を跳ね除け、電車を跳び降りた。
「き、君っ! 何をするんだね!?」
男は、さも何も無かったかのようにそう言った。

 

午後一時の数分前。
上野駅前には、はるかの到着を待つ和馬が立っていた。
和馬は、人の流れと時計を交互に見ていた。
その、人の流れの中から、走ってこちらに向かう人物が居た。
はるかだ。
「走ってこなくても、まだ時間前だって…」
和馬はそう呟き、苦笑した。
やがて、はるかは和馬の前で一度止まった。
目には涙を溜めている。
それを見た和馬は真顔に戻った。
「お、おい…。 どうした…?」
はるかは、堰を切ったように涙を流し、和馬の胸に飛び込んできた。
「うわぁぁぁぁぁん! カズちゃぁぁぁん!」
そう叫びながら、和馬の胸元を涙で濡らした。
「なっ!? えぇ? なん………。 困ったな…」
和馬は、周囲の視線を一身に浴びながら、はるかを右腕で抱き、左手の人差し指でこめかみを掻いた。

 

二人は、駅前広場にある花壇の淵に腰をかけている。
少々落ち着きを取り戻したはるかは、和馬に事の顛末を話した。
「…そいつの顔、覚えてないか?」
和馬は、怒りを抑えつつ、そう尋ねた。
「覚えてるけど…、捜し出すなんて無理だよ…。 もうあの電車で行っちゃったし…」
「クソっ! 俺が付いてれば…」
「しょうがないよ…。 カズちゃんも都合があったんだし…」
はるかは、手に持っていたジュースの残りを、一気に飲み干した。
「うぅ…。 まだあの味が残ってるよ…」
「…アレって、そんなに不味いのか?」
「うん。 この世のものとは思えないくらい」
はるかはそう言いながら、目尻に溜まった涙をハンカチで拭った。
その横で、和馬は腕を組み少し思案した。
「ふーん。 そうなのか…」
はるかは、少し押し黙った。 やがて、思いっきり立ち上がった。
「いつまでも泣いてたってしょうがないよね。 もう、行こうよ」
「あ、あぁ。 そうだな」
続いて、和馬も立ち上がった。

 

衣料店で、数点買い物をし、その袋を抱えながら、二人はアーケード内を歩いている。
「はぁ…。 もう、電車には乗りたくないよ…」
はるかは、先ほどの事件の感想を、思い出したかのように言った。
「女性専用車両は?」
和馬の問いに、はるかは首を小刻みに横に振り、少し顔をしかめた。
「なんか…、香水のにおいとかキツいらしいし…」
「じゃ、バイクで移動すればいいじゃん」
「だって…。 ステップとブレーキ レバー曲がってるもん」
「曲がってたって一応乗れるだろ。 ブレーキ、どれぐらい曲がってるんだ?」
はるかは、人差し指を曲げ、和馬のほうに見せた。
「使い切った頃の瞬間接着剤のチューブほど」
和馬は、腕を組んだ。
「…なるほど。 ステップはハンマーでガシガシ殴れば戻るだろうけど…」
彼は少し考え、あっ、と小さく言い、続けた。
「せっかく上野来てるんだし、バイク通り行って買いに行こうぜ?」
「あ、そう言えばそうだね」

 

二人は、行きつけのバイク用品店に付いた。
その店の階段を上り、二階の売り場に行く。
「うーっす」
和馬は、レジに居る顔見知りの店員に向かい、軽い挨拶をした。
彼は書類に落としていた目を上げた。
「おぅ、大谷くん。 久しぶりだね」
和馬はレジの前に着くなり、言う。
「TWのブレーキ レバーくれ」
「いきなりかい。 って、TW? 本人は?」
店員は「晴輝」の姿を探した。
「…あー……」
和馬は返答に困った。 後ろに居るのは、彼の知る晴輝ではないからだ。
彼の困惑した表情を読み取り、店員は心配そうな顔をして言う。
「どうか、した?」
「…死んだ」
店員の顔は驚嘆の顔へと変わる。 和馬は構わず続けた。
「夜の357で…、ブレーキ ミスを…」
「いや、それ以上は語らないでくれ…」
店員の落ち込んだ表情を見て、和馬はニヤリと笑った。
「冗談っすよ。 風邪で寝込んでるよ」
「ひどい冗談だね、それは…」
店員は苦笑し、そう言った。
笑う和馬の横で、はるかは呆れた顔をした。
「勝手に殺さないでよ…」
「ん。 わり」
和馬ははるかの抗議を軽くあしらった。
その二人を見て、店員は不思議そうな顔をした。
「その子は?」
「あぁ、死んだ奴の……ぐっ!」
彼が言い終わる前に、はるかは彼の横腹を突き、抗議の目を向けた。
「…高橋の妹だよ」
「へぇ~。 仲よさそうじゃん」
店員は面倒くさそうに言い、ひとつの冊子を取り出した。
「そんなんじゃないっすよ」
「俺にはそう見えんの。 はい、自分で探して」
そう言い店員が和馬に手渡したのは、パーツの番号が書かれている冊子だった。
「職務放棄ぃ~」
「あー。 うっさい、うっさい」
店員はしっしっ、と手を振った。
「三十近いってのに、まだ独身なんだな…」
和馬は小声で呟いた。

 

はるかは、しゃがんで部品を探している。
「ないなぁ…」
和馬はその後ろから声をかけた。
「ちょい、パーツ リスト見せてみ」
「ん。 はい」
はるかは、先ほど店員から渡された冊子を和馬に手渡した。
和馬は、部品の番号を確認すると、陳列棚に目を向けた。
すると、目の前にその部品を見つけた。
彼女に声を掛けようと、和馬は見下ろす形で目線をはるかに移す。
服の隙間から両の膨らみが見えた。
「ぐぁ…」
「ん?」
はるかは、目を逸らしている和馬を不思議そうに見上げた。
「…なんでもない。 あったぞ」
そう言い、彼は陳列棚に指を差した。
「あ、ほんとだ。 ありがとー」
はるかは、それを手に取りレジへと向かい、店員に声をかける。
「すいませーん」
「はいはいー。 1200円ね」
店員は、和馬に向かって金額を言った。
「は? 何で俺に言うの?」
「いいもの見たんじゃないの?」
彼は、ニヤニヤしながらそう言った。
「……目ざといな、あんた…」
そう言い、和馬は財布を取り出す。
「え? なに、なに?」
はるかは、終始不思議そうな顔をしていた。

 

数十分後。 二人ははるかの家の前に戻ってきた。
「じゃ、直すか」
バイクのエンジンを止めるなり、和馬はそう言った。
「うん。 ちょっと待ってて。 工具持ってくるー」
そう言い、はるかは階段を駆け上がった。
しばらくして、戻ってくる。 持ってきた工具と、先ほど買ったブレーキ レバーを地面に置き、駐輪場へと向かった。
そして、自分のバイクを引き出し、やや広い場所へと移動させた。
はるかが、サイド スタンドを降ろすと、和馬は言う。
「まずは、簡単なほうのステップだな」
「そだね」
はるかは、工具箱からハンマーを取り出した。
「カズちゃん、ちょっと押さえてて」
「おぅ」
和馬はシートに腰掛けた。 そしてはるかは、ステップを上からハンマーで叩いた。
だが、何度も叩いても位置は直らなかった。
ムキになって連打しても、結果は変わらない。
「…ごめん。 お願い」
顔を真っ赤にさせたはるかは、和馬にハンマーを手渡した。
「ぷっ。 わかった」
和馬は、彼女のその姿に、思わず失笑した。
「だぁっ! 笑うなぁっ!」
「悪りぃ、悪りぃ。 ほれ、乗っかれ。 つーか、その間にレバー付け替えておけ」
「あ。 そうだね」
こうして、二人はそれぞれの作業をし、十数分で完了した。
はるかは、キーを ON の位置にして、エンジンをかけた。
小気味のいい音が辺りに響いた。
「しばらくかけてなかったから、かかるか心配だったんだ」
「そうか。 大丈夫そうだな」
「うん」
そう言い、はるかはバイクにまたがった。 そのまま、後退しながら U ターンし、発進して敷地を出て行った。
「あっ! おまっ、ノーヘル!」
はるかは、「へーき」と言わんばかりに左手を上げ、路地を右折していった。
程なくして、反対側から戻ってきた。
「ん。 修復個所に問題は、なし」
「法規上は大問題だったけどな」

 

午後八時。 はるかの家で二人は雑談している。
「で、なんでブレーキ レバーのお金払ってくれたの?」
はるかは突然そう切り出した。
「うぁ。 忘れろ」
「んー、気になる…」
はるかは苦笑し、そう言った。和馬は、ゆっくりと立ち上がった。
「さて…。 そろそろ行くかな」
そう言い、一歩踏み出すと、後ろへの張力を感じた。
はるかは、座ったまま俯き、照れ笑いを浮かべながら和馬のシャツの裾を掴んでいた。
「今日は…、一人にしないで……」
「お、おぅ…」
そう言いながら、和馬は力が抜けたように座った。
それと入れ替わるように、はるかが立ち上がった。
「あ、そだ。 ビールの買い置きあるけど、飲む?」
「おぅ。 もらうわ」
「了解~」
そう言い、はるかは台所へ向かい、冷蔵庫から缶ビールを二本取ってきた。
「はい」
彼女は、ビールを片方、和馬に手渡しながら腰を下ろした。
「ん。 さんきゅ」
和馬はそう言い、プルタブを起こした。
そして、一気に缶の三分の一を飲んだ。
「かぁっ! うめぇっ!」
「なんかオヤジくさいよ、それ」
はるかは苦笑し、続けた。
「でも、今日はなんか蒸し暑いしね」
「あぁ。 明日は雨か…?」
「やだなぁ…」

 

午後九時。 空き缶が四本テーブルの上においてあった。
和馬は、読んでいた雑誌を置いて、缶に残っていた最後の一口を飲み干し、はるかの方に顔を向けた。
「おい、高橋。 まだ飲むなら買ってく…どわぁっ!?」
彼女は、ウォッカの瓶に口をつけていた。
「飲むぅ~♪」
「おい…。 ヤバくないか? それ…」
「大丈夫らって。 ほらぁ」
そう言い、和馬の口に瓶の注ぎ口を押し込み、傾けた。
「ごふっ! おぃっ…! やめ…!」
和馬は瓶を引き離した。
「お、おまえなぁ…」
そう言い、はるかの横にふと目をやると、ビールの空き缶がもう一本転がっていた。
「おいおい…。 飲みすぎじゃないか…?」
和馬は、視線を彼女の顔へと戻した。
『キュポンッ』
注ぎ口を口から離す音だ。
「だからぁ…」
和馬は呆れ顔をしてそう言った。
するとはるかは、表情を暗くした。
「飲まなきゃ…やってらんないって…」
「え?」
はるかは、床を軽く叩いた。
「あんなことされて、何もできないなんて…!」
「あぁ…。 あのことか…」
そう言い、和馬はこめかみを掻いた。
「だいたい、あたしゃ男だよ!? 忘れてたけど!」
「…忘れるなよ。 ていうか、その声と、顔と、話し方じゃ説得力ないって」
「うぐっ…」
はるかは、一瞬言葉を詰まらせた。
「か、変えたぞっ! 話し方! これでどうだ!」
「声は?」
「こ、声? あ゛~~」
「ぷっ」
和馬は、思わず吹き出した。
「あぁぁ! 笑うなぁ!」
「わかったわかった」
そう、いい加減に言い、半笑いでなだめた。
「うぅぅ~」
唸るはるかを見て、和馬にいたずら心が芽生えた。
「ほら、もう寝れ」
そう言いながらはるかの頭を抱きかかえるようにして寝転んだ。
「……う、うん…」
和馬は素直におとなしくなったはるかの反応を可笑しく思ったが、笑うのは顔だけにしておいた。
ちらりと彼女の顔を見ると、耳まで真っ赤になっていた。
彼自身も眠くなってきたので、少し身を起こして電灯の紐を数回引いた。
程なくして、夢の世界へと入っていった。

 

翌日。
はるかはゆっくりと目を開ける。
目の前は白い。 布のようだ。
布団だと思ったそれを除けようとしたが、途方もなく重い。
なんだろう? と思い、身を起こすと、それは布団ではなく和馬だと言うことに気づいた。
「うわわわわっ!?」
小さく叫びながらはるかは身じろぎだけで後退した。
彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。
布団、ではなく和馬もゆっくりと起き上がった。
「おぅ…。 今何時だ?」
「ひぇ!? あ、えとね…」
はるかは携帯電話を手に取り、その時刻表示を見た。
「16時……55分!?」
「お前、五時からバイトじゃね?」
「そそそ、そうだよ! ヤバいよ!」
はるかは慌てて着替え始めた。
「おい! 馬鹿! そんなとこで着替えられたら俺がヤバいって!」
和馬は慌てて窓の方を向いた。
「か、かんりょ!」
「化粧は?」
「あぁん、もぅ…」
彼女は、慌しく洗面台へと向かった。
数分後、準備が整い、二人は玄関を出た。
はるかは、施錠と同時にその確認をし、滑るように階段を下りていった。
そして、駐輪場からバイクを引きずり出し、エンジンをかけ、跨るのよりも早くアクセルターンを決めた。
一瞬停止し、体制を整え、そのまま出て行った。
「…人、轢くなよ?」
その様子を見ていた和馬はそう呟いた。

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