第4話 始まりの場所 - Piskesoft

朝。時計は八時を指している。
洗面所で、はるかは鏡を見た。この体とも、今日でお別れ。そう思い、歯ブラシを手に取った。
玄関まで行くと、ちょうどドアをノックする音が聞こえた。
「高橋ー、起きろー」
和馬だ。はるかはそれ以外の人間でなくてよかった、と安心し、ドアを開け放つ。
「もう起きてるよ…」
「何だ…。 ほれ」
彼は新聞を手渡す。それを受け取りつつ部屋の中へと導いた。
座って、新聞を読む。その後ろで彼は頭を掻いた。
「どうでもいいけどさ…」
「あん?」
読むのを中断し、後ろを向く。
「その格好…、危険だ」
パジャマ代わりのTシャツと、パンツ一枚。その姿を指して彼は言った。
「あぁ、わりぃ」
そう言いつつ、首を戻し、先ほどのを再開した。
「…着替えろよ……」

 

新聞を読み終わる。それを畳み、立ち上がる。後ろを向くと、目のやり場に困っている和馬がいた。
「お前、なんか変だぞ」
そう言い、洗面所へと向かった。
口をゆすぎ、口元を拭く。そして、言われてしまったので着替えることにする。
はるかは、衣類ケースから青い半袖のカットソー、山吹色のイージースカート、そして下着を取り出した。
…最初は抵抗あったけどな。
そう思い、ブラジャーを着け、スカートに足を通した。

 

服を着たはるかは、台所に立ち、後ろを振り向く。
「飯食った?」
「あぁ? お前、食うの?」
和馬が不思議そうな顔をする。普段食べなかったことを思い出し、
「なんとなく、腹減ったから」
と理由をつけた。
「俺は、いら…。 いや、やっぱりもらうわ」
「わかった」
体の向きを戻しつつ、そう言った。冷蔵庫から卵とコーンを取り出す。その卵を割り、ボールに入れて、かき混ぜる。
「卵焼きか?」
「あぁ」
振り返らず、言う。

そうしてできた、皿に盛られた朝食をテーブルへと運び、和馬の反対側に座った。彼は、読んでいた雑誌を脇に置いた。
「お前、料理できたんだな」
「まあな。 こっち出てきて、自然と覚えてった」
そう言い、はるかはご飯を口に運んだ。和馬も、箸を取り、食べ始めた。
「お前、それ、朝飯だったとしても少なくないか?」
「あー…、仕方がないじゃん」
言われて、彼ははっとする。
「おぉ、そうか…。 悪りぃ」
「いや、いいよ」

食事が終わり、食器を洗い終わるころには、時計が九時と告げていた。二人は、することもないので早めに出ることにした。

 

事の始まりの街。新宿。
二人は、例の病院へ向け、歩く。
「ところであの薬、なんでおま…カズちゃんには効かなかったんだろう?」
外出モードへと口調を変更したはるかが言った。
「さあな…。 体質とかで片付けられる問題じゃないし…」
二人はうーん、と唸る。が、その思考も中断した。
「ま、いいや。 医者たちの説明を聞けばわかるしな」
そこで、目的地に到着する。中へと進み、エレベーターで四階まで上がった。そこには、三日前と同じように受付の人がいた。
「まだ早いですけど…、いいですか?」
はるかは遠慮がちに聞く。
「どうぞ。 お名前は?」
「高橋です」
受付は、名簿に目を落とす。
「はい。 えーっと…、……ん?」
彼は顔を上げた。
「失礼ですが、下のお名前は?」
「晴輝です」
「……はい?」

 

二人は、今のはるかの症状を説明する。医師たちは後ろを向き、談合を始めた。
「そんなこと、あり得ないでしょう」
「だから、入院させるべきだったんです…」
「住所は控えてあるから安心しろ」
それを聞き、はるかはその輪の前まで歩いた。そして、左手人差し指の腹を突き出した。
「それじゃあ、受付のときに書いた紙についた指紋と、これを照らし合わせてみてくださいよ」

 

数十分後、医師たちが戻ってきて、額を押さえながら言う。
「…参ったな、こりゃ…。 大きさは違うものの、パターンは完全に一致しましたよ…」
「で、治るんですか? これ」
はるかは強気な口調で言った。対して、医師は弱気だ。
「精密な検査をしないと…、なんとも言えないですね…」
「精密な検査、とは?」
「体が完全に女性かどうか、たとえばDNAなどです」
「その検査って、してもらえるんですよね?」
医師はこめかみを指で掻く。
「もちろんです。 ただ、こんな事例、初めてなんでね…」

 

その後、通常の検査に加え、体を構成する各部を調べていった。それには、三時間ほどかかった。
午後二時。二人は来た道を逆方向に歩く。はるかは、肩を落としながら言う。
「結果出るまで一週間ぐらいかかるってさ…」
「そうか…。 てか、あの薬の所為じゃなかったのか?」
「わからない。 それもそのときまでに調べておくって」
「それまでどうするんだよ…?」
はるかは、一枚の紙を和馬に差し出した。
「そうそう、こんなのもらったよ。 こんなの書くの初めてだ、って言われて」
その紙にはこう書かれていた。

診断書
患者: 高橋 晴輝
病名: 不明(症状:性転換)

「これを、どうしろと…」
彼は怪訝顔でそう聞いた。
「身分証明のときに使えってさ」
「なるほど…。 苦肉の策か…」
「あと、何かとご入用でしょうから、って、十万円もらったし…。 確かにお金は必要だけど…」
和馬は、ばっ、とこちらを向いた。
「何!? コンチキショウ、奢れ」
「何でそうなるんだよ!? てか、これやるから元に戻してくれ。 むしろ代われ」
そう言い、はるかは、彼が女性化した姿を思い浮かべる。
「うゎ…。 やっぱりいいや…」
「今、変なこと想像しなかったか?」

 

二人は、はるかの家で今後のことを話し合うことにした。和馬は一度家に戻り、着替えてから来た。
「で、まずバイトだけど…」
そう、和馬が口を切った。
「あぁ…。 あのまま突き通すしかないな。 少し恥ずかしいけど…」
「恥ずかしい? なんでよ?」
「相田にバレてる」
「えぁ? お前、喋ったんか?」
「…女の勘は鋭いっての、本当だったんだな」
はるかは、うなだれて言った。
「うわー。 大変だねぇ」
「棒読みで言うな…。 本当に大変だぞ…」
そっぽを向いていた和馬は、はるかに顔を向けて言う。
「なぁ。 口調、完全にあっちにしたら?」
「えー、ここでもか? あれ疲れるんだよな…」
「だから、疲れないように慣らしておくんだよ」
「それも、そうか…」
「じゃ、始め」
彼は、手を軽く叩いて言った。
「え、え? ちょっと待てよ。 心の準備が…」
「はい、カウント1」
「もう始まってるのね…」
そう言ったはるかは、もうひとつの問題を思い出す。
「あ、服。 あれじゃあ足りないなぁ」
「おぉ、そうだな…。 明日バイト始まるまで原宿にでも行くか?」
「そうだね」

 

それから、一時間ほど雑談をする。カウントはすでに二十を超えていた。そこで和馬は、空腹に気づいた。
「腹減ったな…」
「僕も。 何か作る? …あ、材料がなかったんだ」
「じゃあ買いに行くか…」
ここからコンビニやスーパーは遠い。和馬はバイクのキーを取った。
「何か、久しぶり」
そう言い、はるかも、掛けてあったキーとヘルメットを取った。

外に出て、和馬は止めてあるSRに跨った。
「あ、そっちで来たんだ」
はるかは、跨ったバイクを見てそう言った。
「あぁ。 何となくな」
そう言いながら、キーを回し、火を入れ、ダックテールのヘルメットを被る。その横で彼女は、
「ちょっと待ってね」
と言い、後ろを振り向いた。その姿を見て、思う。
細い脚。
さらさらの髪。
小さい体。
それを、後ろからぎゅっと抱きしめたくなる衝動に駆られる。
そうすると、壊れそうで、でも、そうしたい。
…何を考えているんだ。
頭を振り、その考えを否定する。
ふと彼女に目をやると、駐輪場からバイクを引き抜くところだった。が、その足取りはふらついていた。
「あ、あれ…? ティ、TWってこんなに…重かっ…たっ…、あ、あぁー!」
ガシャン、と、それは倒れた。
「あぁぁぁああぁぁ!」
「…楽しそうだな」
ハンドルバーにひじを掛けて、頬杖をついて言った。
「楽しかねーよ…。 ステップがー…。 ブレーキレバーがー…」
「カウント26」
「うわ、容赦ないねぇ…」
和馬は、サイドスタンドを降ろし、彼女のほうへ歩く。
「…お前、しばらくバイク降りたら?」
そう言いつつ、倒れたバイクを彼女に代わって引き起こす。
「えぁ? なんでさ?」
そう言う彼女を後ろ目に、置いておいたバイクに戻りつつ、こめかみを掻く。
「いや、その…。 もし走ってるときに転んだりしたら…、そのきれいな顔とか、腕とか……」
恥ずかしくなり、台詞を中断する。
「えっ…?」
「と、とにかく! 取り回しのときにコカす奴なんか、道路に出せるかってんだよ!」
彼女は、その言葉に眉を立てた。
「な、なんだよ!」
が、それは次第に下がっていく。
「……それも、そう、だね…」
「ほら、ケツ乗れ」
「…うん」

 

夕暮れの道路を、二人を乗せたバイクは走る。和馬の後ろで、はるかは言う。
「ねぇ、カズちゃん」
「あん?」
「さっき、きれいな顔、って言ったくれたよね?」
「ちっ…。 聞こえてたのか…」
再び、恥ずかしさがこみ上げてきた。と、腰の辺りに圧迫感を感じた。
「なんか、不本意ながら嬉しかったよ」
「………」
「ありがとう」
背中に柔らかい胸の感触。頬をくっつけているのか、その感触もあった。
「や、やめろって…」
「なんでさー?」
風きり音の中で、和馬は小声で言った。
「…好きに、なっちまうだろ……」
「ん?」
「なんでもねーよ」
そのままの声の大きさで言った。
「え? 何ー?」
本当に聞こえてない様子だった。それに安心した和馬は、
「何でもねーって!」
と、叫び、アクセルを開ける。
「きゃっ! と、飛ばしすぎだよ!」
お構いなしに、速度を上げていった。早く目的地に着きたい一心で…。

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