居酒屋の一角。
ここで高橋 晴輝と、そのバイト仲間の大谷 和馬が杯を交わしていた。
晴輝がぐいっと酒をあおり、口を開いた。
「はぁ…。 そろそろ就職しないとマズいよな…」
「なにをいきなり…」
和馬はジョッキを置き、そう言う。
「いや、何かと出て行く金が多くて…。 特に飲み代がかさむ…」
ため息を吐きつつ、頭を垂らした。
その横で和馬は呑気そうに枝豆を口に放り込んだ。
「まぁ、気にすんなよ」
「誰のせいだ、誰の。 何かにつけて飲んでんじゃねぇか」
晴輝はここ最近の内訳を思い返す。
一昨日は給料日。その三日ほど前は俺が彼女と別れた慰め。彼女は俺が振ったんだが、なぜか慰め、らしい。
とにかく、そんなこんなで一週間以上間隔が開いたことは殆どない。
晴輝は更に頭を垂らした。
「つーか、お前なんで彼女と別れたの?」
「あぁ、面倒くさくなった」
急に振られた話題をそっけなく返す。
「はっ! この悪魔め」
「何とでも言え」
「くそ、腹立ってきた」
和馬はそう呟き、右手を上げた。
「すんませーん、生二つ。 中ジョッキで」
「はい、ただいまー!」
遠くから店員の応答が聞こえた。
「お、おい。 まだ行くのかよ…。 手持ちそんなにねぇぞ」
「まぁ、アレだ。 金のことは飲んで忘れろ」
「忘れたら、明日財布の中身見て絶叫するぞ…」
そう言い、晴輝はふと、伏せてある伝票を表にした。
\15,120-
“合計” の欄にはそう書いてあった。
「あぁ!?」
「どうした? 大きい声出すんじゃねぇよ」
「………」
晴輝は黙ったまま両の手を合わせた。そして、ゆっくり顔を上げていく。
「金、貸してくれ…」

 

朝。
朝日が晴輝の網膜を刺激した。
(まだ眠いな…)
「ぐぉー…」
和馬のいびきが晴輝の鼓膜を刺激した。
「くそっ、こいつが泊まってるんだったか…」
和馬は、いつも過大ないびきを立てる。
よく自分で起きねぇよな…。
晴輝は常々そう思っていた。
「仕方ねぇ、起きるか…」
のそっと起き上がり、そのまま洗面台まで歩く。
「あぁ…頭痛てぇ…」
洗面台で歯ブラシに歯磨き粉をつけ、それを口に咥える。
そして玄関まで行き、新聞を取ってくる。
それを読みながら歯を磨く。
晴輝の日課である。

歯を磨き終わり、新聞を畳んだところでようやく和馬が起きた。
「おぅ…。 早起きだな」
「誰の所為だろうねぇ?」
「あん? だれよ?」
まるで自分だとは分かってないような顔を浮かべる。というか、分かっていない。
晴輝は無言でチラシを飛行機に変え、和馬に向けて飛ばした。
それは滑空し、なだらかな曲線を描きながらターゲットの額へと向かう。
「いでっ!」
命中。
「おめーだよ。 まったく、いつもデケーいびきかきやがって…」
「そうか、よかったなぁ」
そう言いつつ和馬は紙飛行機を広げる。
「よかねーよ…」
晴輝は呆れた顔をし、欠伸をひとつ。
和馬は、紙飛行機だったものをしばらく眺めていたが、ある一点に視点が集中した。
うーん、と唸り、つづけて一言。
「お前、金無いんならこれよくねぇ?」
「あぁ?」
和馬が手にしているチラシは求人広告だった。そのひとつの欄に指をさしている。

―――新薬の被験者募集。報酬五万円―――

 

現地にて十時より受付との事だったので、晴輝はすぐ支度をし、電車に乗った。
ほぼ満員だが、説明会の会場である新宿まではそう遠くは無い。我慢できる範囲だ。
晴輝は、左手には例の広告、右手にはつり革を持っている。その横には、和馬も居た。
「で、何でお前も来るの?」
「いや、薬飲むだけで五万円はおいしいじゃん」
「なんかいやな言い方だな…」
晴輝は左手に持った、折り目がついている広告に目を落とした。
…何かあった場合は無償で治療します、か…。
“何か” って何だよ。
てか、何の薬だ…?
チラシを見ながら晴輝はそう思考を巡らせた。

そのうちに、電車は建物の中へと入っていく。進行方向に重力がかかり、やがてそれは止まった。
直後、扉が開いく。それを合図に、いっせいに人々が降りてゆく。その、まるで波のようなものに晴輝たちは押されて出て行く。
この駅は広大で、出口が複数ある。ここへ来たことが数多くない晴輝は、和馬に尋ねた。
「で、どこから出て行くんだ?」
そう言い、広告を手渡す。
「んーと、どれどれ…。 東口だから…、あっちだ」
和馬は指で指し示す代わりにその方向へと足を向けた。

しばらく歩くと “東口” と書かれた黄色の標識が天井からぶら下がっていた。
「しかし、無駄に広いな」
まだ歩くのかよ、と思った晴輝が思わずそう言った。
「無駄とか言うな。 ここは俺の原点だ」
「あん? つーかお前、いつもここに何しに来てるんだ?」
「歌舞…げほっげほっ! や、安い飲み屋があるんだよ」
「安かねーだろうな。 店の女の分もかかるし」
和馬は沈黙した。それを見て、晴輝は、彼が一緒に来た理由が分かった。
…こいつも金欠なんだな。

 

駅から出て、更に歩くと目的の病院があった。そこの四階の一室が会場らしい。
受付を済ませ、椅子に座って待っていると白衣を着た研究所員らしき人が入ってきた。

彼の説明によると、今回の新薬は風邪薬らしい。実験の内容は、人工的に風邪のウイルスに感染させられ、その薬の効果と人間が使っても問題ないかを調べるものだ。
あとは、三日後この場所で検査をするだけだ。

この説明を聞き、断って出て行った人が数人居た。

残った人はそのまま実験に入った。
まず、風邪のウイルスに感染する。そしてその発症を確認のうえ、例の新薬を飲む。
今日のところはこれで終わりだ。

 

頭がくらくらする。暑いんだか寒いんだかよく分からない。
「おい…。 このウイルス、ちょっと強力すぎやしないか?」
晴輝は和馬にそう言った。
「あぁ…。 ちょいヤバい…」
和馬も相当キテいるらしく、二人はさっさと帰って寝ることにした。

それから、晴輝は自分がどのように帰ったか覚えていなかった。

 

夜中の三時。
和馬は寝苦しさを覚え、布団から這い出た。そして、冷蔵庫の中からスポーツドリンクを取り出し、一気に飲んだ。
「くそっ…」
そう吐き捨て、和馬は布団へ戻った。
…人間ってやっぱ、生き物なんだな…。
意味の無い実感が沸く。このまま起きている気力も殆どなく、和馬はそのまま眠りに落ちた。

同じ頃。
「はぁ…はぁ…」
晴輝は、風邪が喉にきたらしく、息が続いていない。さらに、体温調節もままならず、全身に汗をかいている。
「これは…ありえないだろ…」
言いつつ、ベッド際に置いた、ぬるくなった水を口にした。そして、死にはしないことを祈りつつ、晴輝は再び眠りについた。

 

翌日。
和馬は自然と目が覚めた。時計に目をやると八時を指していた。
昨晩までの地獄のような状態が嘘の様に回復している。
取り敢えず、寝汗を落としにシャワーを浴びることにした。
体を洗い、鏡で顔を見る。ひげが伸びていることに気づき、それを剃り落とした。
その後、することが無かったので晴輝の様子でも見に行くことにした。

和馬の家から晴輝の家は一キロほど離れている。歩くのがダルいので原付スクーターで行くことにした。
和馬は、スクーターにまたがり、エンジンをかけた。そして、晴輝の家まで走っていく。
飛ばさずとも、二分足らずで到着した。

スクーターを止め、アパートの階段を上がっていく。上り切り、そこから二番目の扉のドアを叩く。
「高橋ー、居るかー?」
中から布団の布がこすれる音がした。直後、
「あぁ。 どうぞー…」
と、声が聞こえた。まだ眠そうだ。が、お構いなしにドアを開け放つ。
「おぅ、治っ………」
和馬の目に入ってきたのは、体に対してずいぶんと大きいTシャツを着た女の子だった。
台詞も中途半端に、後退して、開け放ったドアを閉めた。そのドアの上の部屋番号を確認する。
202。
間違いないはずだ。と、いうことはありゃ高橋の新しい彼女か。
和馬はそう思い、再びドアを開けようとしたとき、内側からそれが開いた。そして、先ほどの女の子が顔を覗かせた。
「なしたん…? 入って来いよ…けほっ、けほっ」
女の子は「あー」と一声出した。
「まだのどの調子がおかしい…。 俺、妙に声高いだろ?」
和馬は一歩引いた。それを見た女の子は困った顔をした。
「いや、うつさないから。 入れって」
「あ、あぁ…」
どうやら女の子は和馬を知っているらしい。しかし、この言葉遣い…。
部屋へと進みつつ、女の子が口を開いた。
「大谷、お前そんなに背デカかったっけ?」
その質問に答えられず、和馬は右手を上げた。
「あのさ…、君……………」
一息。
「誰?」
女の子は呆れた顔をした。
「誰って、お前のよく知る高橋だよ…」
「いや待て」
和馬はすぐさま反応した。台詞を考えてあったかのように。
「もし仮に、お前が高橋だったとして…」
そう言って、脱衣室まで押していく。
「ちょっ、な、何!?」
「これを見て、どう思う?」
和馬は、洗面台の鏡を指差した。
「これって、俺じゃ……………」
女の子が固まる。しばらくして、口をパクパクさせた。
「えーっと…」
女の子は和馬と向き合った。そして、鏡の方を指した。
「誰? この子」
「自分で言うなっ!」

トラックバック

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメント & トラックバック

No comments yet.

Comment feed

コメントする