…ここは、どこだろう?知らない場所だ。こんなところで、何をしてるんだっけ?
隣の人が、笑う。僕も、笑う。そう、楽しい時間。
そうだ、デートしてるんだっけ。で、誰と?
ふと、横を向く。大谷が小突く。
そうそう、こいつとだった。

…ん?

 

紙の擦れる音がする。はるかの目がゆっくりと開く。横を向くと、新聞を読んでいる和馬がいた。
「おぅ。 起きたか」
こちらを向き、彼は言った。ここで、あの夢の内容を思い出す。
「うわあぁぁぁああぁぁぁぁぁ!」
「うおっ! どうした!? 悪い夢でも見たのか?」
一瞬、殴ってやりたい衝動に駆られるが、それを押さえ込む。
「………うん、ある意味…」
目のやり場に困り、下を向いてそう言った。

 

はるかは時計を見た。それは九時を指していた。
「そろそろ時間だね」
「あぁ。 居られる時間も少ないし、早めに行くか」
和馬はそう言い、立ち上がった。それに続き、自分も立つ。部屋の鍵を取り、玄関まで歩く。
玄関の扉を開け、外に出る。鍵を閉め、ドアを開ける動作をして、施錠の確認をした。
「細かいな、お前」
「ふぇ?」
いきなり言われたので間抜けな声を出してしまった。
「いや、さっきの確認」
「あぁー。 親がやってたから、癖になっちゃった」
「ふーん、そうか」
彼はそう言い、階段を下りていく。再びそれに続く。そして、二人は並んで駅まで歩き出した。

 

電車は動き出す。九時半出勤の人たちで、それはすし詰め状態だった。
はるかは、眠そうに頭を揺らしていた。
やがて、意識も揺らいでいく。何かを支えにして、目を閉じた。
定期的に刻む鼓動が聞こえる。何だろう、と思うが、その疑問よりも睡魔のほうが勝っていた。
そのとき、ふと、肩を叩かれる。
「お、おい…」
「ん…?」
顔を上げると、和馬の顔が上にあった。
支えにしていたのは和馬の胸だった。
「もうすぐ、着くぞ…」
「あ、うん…」
はるかは目を擦り、体を真っ直ぐに立て直した。

 

二人は、会話をしつつ街をぶらつき始めた。少し歩き、はるかは立ち止まった。
「ねーねー、あれよくない?」
軒先のアクセサリーを指差してそう言った。
「あぁ? それ、男物だし」
和馬は顔を歪ませた。
「違うよー、カズちゃんにだよ」
「な!? お、俺か?」
それを手に取り、彼の首筋に持っていく。
「そうそう。 あー、やっぱりいいね」
「そ、そうか…?」
彼はそっぽを向き、そう答える。
「ん? 何恥ずかしがってんのー?」
「だー! からかって遊ぶのやめろっ!」
「えへへー♪ ダメ?」
「………別に、いいけどさ…」
こうして、二人は歩きまわる。楽しい時間だった。ここではるかは、再びあの夢の内容を思い出す。
…いいんだろうか。相手は大谷だ。それなのに、こんなふうに接して。
僕は…いや、俺は大谷の “友達” なのに。
いつの間にか感情が変わってしまったのだろうか?
……あり得ない。
「どうした?」
ふと、和馬は声を掛ける。
「えっ? あー……っと…」
そう言い、息を整えて、
「何でもないよ。 考え事してただけ」
微笑み、そう返す。
「そうか」
はるかは、考えすぎだ、と思うことにした。

 

午前十一時。
「あ、もうこんな時間…」
はるかは、携帯電話の時計を見てそう言うと、和馬は、顔をこちらに向けた。
「昼からだっけ?」
「うん。 僕はそろそろ行くけど、カズちゃんは?」
彼は、少し考える。
「俺は、まだ居るよ」
「分かったよ。 じゃあ、また明日だね」
「うーん、バイト終わったら暇か?」
「え? うん。 特にすることはないよ」
「じゃあ、飲みに行こうぜ」
「えぇ…、また?」
はるかは顔を歪ませる。
「いいじゃん。 収入もあったんだし。 …って、奢れ」
「まだ言う…。 …まぁ、いいか」
「マジか!? じゃあ、九時にいつもの場所で」
「はぁ…うん。 また後でね」
そう言い、後ろを振り向き、歩き出した。

 

店に着き、事務所に顔を出す。再びこの姿を見せたときは、梶原は驚いていた。
「お前、その体気に入ってるんじゃないか?」
彼は、ニヒルに笑いそう言った。
「冗談きついですよ…」
はるかは、うなだれて言う。彼は、それ以上言うこともなく、彼女を仕事につかせた。

 

午後八時。
一仕事を終えたはるかたちは、更衣室で私服に着替えている。はるかは、優に耳打ちをする。
「なぁ…、あいつらに話してないよな…?」
そう言い、向こうに目をやった。それを聞き、彼女は少し吹き出し、普通の声で言う。
「ていうか…、みんな気づいてるよ」
「な!? マジで?」
「うん。 あたしたちはね」
はるかは、ロッカーに手をつき、下を向く。
「エスパーかい、あんたらは…」
その横に大橋が寄ってきて言う。
「それより、その服かわいいじゃない。 センスあるよね」
「あぁ…、カズちゃ…大谷が選んだんだよ」
彼女は笑い出し、
「なになにー? カズちゃん、って呼んでるんだー」
と言った。それに続いて優も言う。
「何気に恋人同士じゃない」
「うわぁ…、やめてよ…」
はるかは、顔を赤くしてそう言った。
「言葉遣いも女の子っぽくなってるし」
「それは…――」
大谷に言われて、と言おうとして、やめた。さらに誤解を深くしかねない。
「なんとなく、だよ」

 

午後九時の十分ほど前。
和馬は、約束の場所に来ていた。
…ちょっと、早かったか?
こめかみを掻き、思案する。それも束の間、はるかが歩いてくるのが見えた。
「あれ? 早いね」
歩み寄りながら、彼女は言った。
「ああ。 特にすることもなかったしな。 あと、お前もな」
「あー、そうだねぇ」
「じゃ、入るか」
「うん」

 

いつものカウンター席に二人は座った。目の前には中ジョッキが二つ置いてある。和馬はそのひとつを手に取る。
「じゃ、お前の女性化に…――」
「却下」
乾杯、と言おうとしたところで、はるかのその言葉で口をふさがれた。
「ちっ、ダメか」
「ダメ。 なんて嫌なことを言うんだよ…」
「じゃあー…。 いつもお疲れ、ってことで」
「それが妥当かな? 前回もそうだったけど…」
彼女は、あごに手を当てて言った。
「ん。 乾杯」
「乾杯ー」
ちん、と、二つのジョッキを当てる。そして、一気に半分ほどのビールを胃に流し込んだ。
彼女は三分の一程度だった。そこに、タイミングよく、つまみの枝豆が運ばれてきた。それを手に取り、中身を口の中に放り込む。
「暑い夏はやっぱり、ビールに枝豆がよく合うなぁ…」
「完全にオッサンだね」
「うわ…、言いやがった…」
そう言い、ビールを口に運んだ。

 

三十分ほど経ち、二杯目のビールも殆どなくなってきたころ。
「はぁ…。 僕、絶対お酒弱くなってるよ…」
はるかは、額をカウンターの角に当てて言った。
「あん? もう酔ったの?」
そう言うと、彼女は顔を上げた。
「ちょっとねー…」
「あんまり無理すんなよ」
その時、後ろに店員が通った。
「あ、すいません。 生ビールの中ジョッキを二つ、お願いします」
彼女は、店員にそう告げた。
「はい、ありがとうございますー」
店員は忙しそうにカウンターの中に戻っていった。
「おい、お前さぁ…。 言ってるそばから…」
「大丈夫。 飲むほど耐性がつくんだからー」
そう言い、彼女はジョッキに残ったビールを一気に飲んだ。
「やっぱりダメだぁ…。 ちょっと休憩…」
彼女は体を傾ける。和馬の肩に体重がかかった。
「勝手に寄りかかるなよ…」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
「まったく…」
そっぽを向いてそう言い、はるかに倣って残りのビールをあおった。

 

更に一時間ほどが経った。二人は既に四杯目のビールに口をつけているところだ。
「カズちゃぁん」
はるかは、いたずらな口調でその名前を呼んだ。
「あん?」
和馬が横を向くと、彼女は焼き鳥をこちらに向けていた。
「はい、あーん」
「ぐっ…!」
「ん? いらない?」
「いや…、もらうわ」
そう言い、手を出すが、彼女は手を引っ込めた。
「あーん、ってしてよ」
もう一度、その要求が来る。
「わ、わかったよ…」
口を少し開けたところに、差し出してきた焼き鳥が近づく。頃合いを計り、口を閉じる。
『がちっ!』
歯と歯の打撃音。和馬に、どこを押さえていいのかわからないような痛みが走った。
彼女を見ると、普通に焼き鳥を食べていた。
「お前なぁ…」
「ん? 何ー?」
「完全に酔ってるだろ…」
「全然。 こんなんじゃ酔えないよー」
そう言うが、彼女の顔は真っ赤だ。
「ていうかさ…。 俺、女に慣れてないから、あんなことするなって…」
彼女は、少し間を取った。
「……僕じゃあ、ダメかなぁ…?」
「あん?」
「僕が、カズちゃんを男にする」
彼女の赤かった顔が、更に赤みを増していく。
「ダメ、かなぁ…?」
つられて、和馬も赤くなる。
「な、なな…!?」
二人の間に、沈黙が流れる。一秒が、何倍にも感じられる。
そのときふと、背中に衝撃が走った。和馬は、一瞬息を詰まらせた。
その横で、はるかは笑い出した。
「っばーか! 何、本気にしてんのよー!」
「…あ……?」
「冗談だよ、冗談。 ほんと、こういうの弱いねぇ」
そう言い、彼女はビールをあおった。少しの間を置いて、和馬は口を開く。
「……本気だったら、嬉しかったんだけどな」
「…えっ!?」
再び、沈黙が流れる。
「あ、あの…」
彼女は、耳まで赤くし、口をパクパクさせた。
「えーっと…、ほ…――」
「ばーか。 冗談だよ。 なに自分の使った手に引っかかってるんだ?」
和馬は、彼女が何か言いたげなのを遮り、そう言った。
「……あ…。 そそ、そうだよねー」
「仕返しだっ!」
そう言い、ジョッキに半分ほど残ったビールを一気に飲み干した。

 

午前零時。
和馬は、はるかに肩を貸し、歩いていた。はるかは、おぼつかない足取りで歩いている。その彼女に顔を向け、言う。
「本当に大丈夫か…?」
「へーきだよ~」
彼女が思ったとおり、体が小さくなった分、アルコールに弱くなったのだろう。既に呂律が回っていなかった。
「ほら、着いたぞ。 階段大丈夫か?」
「うん、だいじょーぶぅ…」
そう言いながら彼女は、階段にぺたりと座った。
「だー、服、汚れちまうだろ…」
呆れて、額に手を当てる。
「……くー…」
…寝てやがる。
そう思い、彼女を抱きかかえた。俗に言う「お姫様抱っこ」の格好だ。
階段を上がりきったところで、ポケットをまさぐり、鍵を取り出した。
…なんか、罪悪感が…。
そう感じながらも、ドアを開け、中へと進んでいく。部屋に着くと、彼女をいったん降ろし、布団を広げ、そこに寝かせた。
「じゃ、俺、行くから…」
「…うん………」
彼女は、無意識と思われる反応をした。それを聞き、和馬は背を向ける。
玄関を出て、鍵を閉める。そして、少し開いた窓からそれを部屋の中に落とした。
階段を下り、自宅へと向かう。
「冗談…、か…?」
あの言葉は、本心ではなかったのだろうか?
今度は、その考えを否定はしなかった。いや、できなかった。
和馬は、心にしこりを残したまま、夜空の下を歩いていく。

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