午後十二時半。
はるかは、不安を抱きつつ電車に揺られている。
取り敢えず、例の書類は持ってきた。信じ難いだろうが、事実であることは確かだ。
だが、こんな姿になってしまったなんて、親にしてみればショックだろう。
どういう顔をして会えばいいのだろうか。
「はぁ…」
無意識に、ため息が出ていた。
どんなことになろうと、気にはしなかった。むしろ、この体を気に入ってしまっている。
不可抗力ではあるが、こうなることを望んでいたのかもしれない。
しかし、親のことなど、気にもしていなかった。
彼は、どう思うだろうか…。
そんなことを考えていくうちに、電車は目的地のホームへと進入していく。

 

東京駅、新幹線改札口前。
旅行かばんを引きながら歩く人が目立つ。
はるかは、壁を背にして人の流れを見ていた。
どういう顔をして会おうか。
先ほどの疑問が再びよぎる。考えは、すぐにまとまった。
「自然にいこう」
そう呟き、覚悟を決めた。
と、人の流れの中に、見知った顔が二つあった。
「母さんも来たのかぁ…」
後頭部を掻き、そこに歩み寄っていく。当然のことながら、彼らは全く気づいていない。
「やぁ。 久しぶりー」
声をかける。それでも気づかない。
「父さん、母さん。 こっちだよー」
その声に、ようやく反応する。が、きょとんとしている。
「えーっと、あの…。 どちらさまですか?」
はるかの父親、謙二が遠慮がちにそう聞いた。はるかは微笑を作った。
「やだなぁ、しばらく見ないうちに顔、忘れちゃった? はる………き、だよっ♪」
二人は、呆気にとられている。やがて母親、真美が口を開いた。
「……………か、変わったね、晴輝…」

 

はるかは、駅構内のカフェで、両親に事情を話した。
「そっか。 わかった」
謙二はそう言い、納得した様子だ。やはり、あの書類を見せたのが真実味を増幅させたのだろう。
少しの間の後、真美は聞く。
「で? 名前はなんていってるの?」
「あー、うん。 一応、はるか、って」
「いい名前じゃない」
「そ、そうかな? ちょっと安直な気もするけど…」
「そんなことないよ。 それじゃあ、はるかの部屋、行こうか?」
彼女がそう提案する。はるかは、それに了承すると、三人は立ち上がった。
会計を済ませ、ローカル線のホームに向かう。その途中、謙二はしみじみと言う。
「前会った時は、お前のほうが背が大きかったんだけどな」
「そういえば、そうだね」
彼は、腕を組み、遠い目をした。
「追い抜かれたときは悔しかったぞぉ」
「今は、僕がその立場だね」
はるかは、苦笑してそう言った。

 

はるかは両親を引き連れて、一時間ほど前と逆の方向へ行き、自宅へと着いた。
鍵を開け、彼らを招き入れる。
「あら。 綺麗にしてるじゃない」
真美は部屋を見回し、そう言った。
「そ、そんなことないよー」
「いや。 前はもっと散らかってたぞ」
「う…。 そう言われれば…」
はるかは口ごもった。その横で、謙二は胸ポケットからタバコの箱を出す。
「あ。 もうなくなってたんだ…」
そう言い、こちらを向いて続けた。
「晴輝、じゃない。 はるか、自販機まで案内してくれ」
「あ、うん。 いいよー」
「真美はちょっと残っててくれないか? 男同士の話がしたい」
言われた真美は吹き出す。
「男同士、ね。 わかったよ」
「あー…。 父娘、だったか」
彼は苦笑し、そう言った。

 

住宅街の小道を、二人は歩く。謙二は、遠慮がちに言う。
「はるか…。 気を悪くしないでくれよ」
「ん? 突然なに…?」
「お前の存在を否定するわけじゃないが…。 母さんはな、女の子をほしがっていたんだ」
「……えっ?」
「だから、内心嬉しいんじゃないか? お前がこうなったこと」
「…そう、かもね」
はるかは、うつむきながら微笑んで言った。
「あ、あと」
「うん?」
「母さん、癌にかかってて…。 もう長くないかもしれないんだ」
微笑みは、驚嘆の顔に変わる。
「次の手術で癌を取り除くことができなきゃ…、あと、半年ってところだ」
「…そっか」
「このこと、内緒だぞ。 言うな、って言われてるから…」
「うん」
そこで、自販機前まで来た。
「銀座にでも行こうか?」
はるかは、小銭を入れている謙二に、そう提案する。
「あぁ、そうだな。 母娘でショッピング、か?」
彼は、そう言いながらボタンを押した。
「そんなとこ」
謙二はタバコを取り出し口から取ると、踵を返し、はるかの部屋に向かった。

 

銀座。三人は、中央通りを歩く。
ショーウィンドウや、店の中の服を見ていた。
そしてまた、一軒の店の中に入る。その中で、二人の姿を、謙二は目を細めて見ていた。
そこに、店員が話しかけてくる。
「かわいい娘さんたちですね」
「えっ?」
「娘さんたちとお買い物ですよね?」
彼は、困った顔をした。
「あーっと…。 片方は…妻です。 同い年の」
「え? あっ! あ、っと……も、申し訳ございません…」
彼女は慌てて謝った。その横で、二人は笑う。
「母さん。 娘さん、だってー」
「もう間違われるような年でもないですよ」
真美は照れながら店員にそう言った。
「そうか…。 俺だけ年を取っていってるんだな…」
俯く彼の肩に、はるかは手を置いた。
「大丈夫だって。 まだまだ若いよ、うん」
「そうか?」
「あ。 白髪発見っ」
「うがぁっ! やっぱり俺はジジイだったのかぁ」
謙二は、店の中なので静かに叫んだ。その横で、店員は小さくなっていた。

 

別の店。ここでも二人並んで商品を手にとって見ている。
まるで、最初から「はるか」だったかのように。
はるかは、ひとつの服を取って真美に差し出した。
「母さん。 これ、どう?」
「あー、かわいいー。 いいかも」
「じゃあ、試着してみてよ」
その言葉に、真美は慌てた。
「え? 私!? そんな若い子が着そうな…」
「絶対似合うってー」
そう言い、試着室へと真美を押す。
真美は、困惑気味に試着をすることにした。しばらくして、彼女は出てくる。
「ど、どう…?」
「うんうん。 いいじゃない。 ねぇ、父さん?」
「あー、うん。 似合ってるんじゃないか?」
はるかは、それじゃあ、と言い、財布を取り出した。
「あれ、頂けます?」
近くにいた店員にそう言った。
「はい。 ありがとうございます」
「え? そ、そんな。 いいって…」
「ううん、いいよいいよー。 いつも物資送ってもらってるしね」
「それじゃあ、甘えちゃおうかな? ありがと」
彼女はそう言い、試着室に戻って元の服に着替えた。

 

午後六時半。商店街の一角のレストランで三人は食事をし終わり、くつろいでいる。
「今日は楽しかったよ。 ありがとうね」
真美は微笑み、はるかにそう言った。
「ううん、僕のほうこそ楽しかったよ」
「また、こんな風に遊べたらいいな」
謙二は、しみじみと言った。
そういえば、もう、これっきりなのかもしれない。
そう考えると、胸の奥から何かがこみ上げてくる感覚がした。
「そうだね…。 また、暇があったら…、いつでも…」
無意識に、涙が出てきていた。はるかは、それ以上言葉を紡ぎ出すことができなかった。
「…っ! ご、ごめんっ…!」
堪らなくなり、席を立ち、一人になるためにトイレへと向かう。
個室に入り、下を脱がずに便座に座り、下を向いて顔を手で覆った。
これから親孝行しようとしているのに。
行っちゃダメ、とすがり付きたい。
大声で泣きたい。
でも、それはできなかった。
もしかすると、まだ大丈夫かもしれないから。
だから、今は、その可能性を信じるしかなかった。

 

午後十時、東京駅。二人は帰りの新幹線に乗るところだ。
「それじゃあ、体に気をつけてね」
真美は、はるかにそう言った。何気ないその言葉も、深く、胸に突き刺さってくる。
「うん。 母さんたちもね」
「そろそろ時間だから、行くな」
謙二は、振り返り際にそう言った。真美も、それに続く。その後姿に、ふと、声をかける。
「手術、がんばってねっ」
言ってしまった。その言葉に、彼女は一瞬言葉を詰まらせた。
「…うん。 ありがとう」
だが、次の瞬間に微笑み、そう返した。話したことは分かっていたのだろう。
二人は、改札を通り、角を曲がった。もう、その姿は見えなくなった。
しばらくその場に立ち尽くす。
「ふぅ…」
ため息をひとつ吐いた後、はるかは歩き出す。自分の、今の居場所へ向かうために。

 

午後十一時。はるかは、今日一日の汗を流している。何気に、手のひらを見る。
「この体、もしかしたら母さんの想いでこうなったのかな…?」
ぽつりと、呟いた。そうだとしたら、もう、この体の役目は終わったのかもしれない。
明日になれば、元に戻っているはずだ。
「…ありがとう」
自分に、いや、この体にお礼を言い、全身を丁寧に洗っていく。
性格が元に戻るかどうかの懸念もした。だがそれは、体についてくるものだと、今回の件で実感した。
また、時間をかければ元に戻る。
長いようで短かったこの生活。割と、楽しんでいられた。
一週間のことを思い出しながら、洗い終わった体を拭いた。
大きいTシャツを着る。次に、ショーツを手に取る。
「…おっと。 戻るんだったら小さいよね、これ…」
そう呟き、トランクスをはいた。腰に引っかからず、歩きづらかったが、それは気にしないことにする。
部屋に戻り、照明を消す。布団に潜って目を閉じると、眠気は訪れてきた。
…いい夢が、見られますように…。

 

 

 

 

 

朝。朝日が顔に当たり、はるかは目を覚ます。
「ん…」
起き上がって、ぼーっとする。その中で、元の姿に戻ってることを思い出す。立ち上がり、トイレへと歩く。
トイレのドアを閉め、便器の前に立ち、トランクスを少し下ろす。気を抜くと、小水が出てきた。
それは、四方八方に飛び散った。
「あっ? あわわっ!?」
何事かと下を向くと、一本の縦筋から黄色い液体が出ていた。
「え、えーっと………」
状況を分析する。
働かない頭で、ようやく理解した。
「も、戻ってないし…」
すべてを出し終わったはるかは、急いで脱衣室に行き、雑巾を濡らして持ってきた。
それで、飛び散ったものを拭いていく。それが終わると、自分にも飛散しているので、それを洗い流しに行く。
「結局、戻らなかったのね…」
惨めな気分になり、浴室でシャワーを浴びながら十数分落ち込んだ。

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