第9話 記憶の糸 - Piskesoft

翌日、午後十時。はるかの部屋。
その中心に居座る円卓には、ビールが入ったグラスが三つ置いてあった。
円卓を囲うのは、はるか、優、大橋といった珍しい面々だ。
優は、くいっとグラスをあおり、口を開いた。
「やっぱり、『僕』じゃあダメよねぇ」
彼女の視線は、はるかに向けられていた。
「え? どうして?」
「子供っぽく見えちゃうじゃない」
「うーん、確かに…」
「それに、大谷くんに嫌われちゃうかもよ?」
「なんでいきなりその名前が出てくるのさ…?」
そう言い、はるかはグラスを傾けた。
「え? だって、あんた…」
「?」
はるかは、飲む動作をやめずに、目線だけを優に向けた。
「好きなんでしょ? 彼のこと」
「ぬぐっ!? …けほっ、けほっ…」
食道を通ろうとしていたビールが気管に入りかけてしまったようだ。
「……そんなわけないじゃん…」
「あらぁ? 違うのぉ?」
優は、いたずらな笑みでそういった」
「あぁっ! 禁断の恋っ!? 戸籍上、男同士の二人は、果たして結ばれることができるのか? それは、神のみぞ知るぅぅ!」
大橋は、真っ赤になった頬を両手で覆い、叫んだ。
「…え?」
「んー、あぁ…。 絵美ね、一般に『やおい』って呼ばれている類のものが好きなのよ…。 無視しちゃって構わないよ…」
呆れ顔で優は言い、人差し指を立てて続けた。
「とにかく。 一人称を改めなよ」
「えぇ…? 今さら嫌だよ…」
「ダメよっ! だったら、あんたの気持ちを彼に代弁しちゃうよ?」
「なんでそうなるのさ? それに…」
…ある事ない事並べられそうだ。
はるかはそう思った。
「わ・た・し! わ・た・し!」
その横で、大橋はテンポよく手を叩いてそう言った。

 

午後十一時。
大橋は既に力尽きてはるかの横に転がっている。
優は最後の一口を飲んだ。
「ところでさ…」
「うん?」
「もし、完全に元の姿に戻れるとして、まだ戻りたいと思ってる?」
はるかは、しばらく沈黙し、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「…もしかしたら、こうなることを望んでいたのかもしれない」
少し前の疑問。それをはるかは優に打ち明けた。
「うーん、そっか。 ならよかったんじゃない?」
「いや、よくない」
はるかは即答し、更に言う。
「だって、優ちゃんがいきなり男になったとしたら? 困るでしょ、普通は…」
優は、あごに手を当てて俯いた。
「今の状況だったら…」
「…え?」
優は顔を上げ、手を横に振った。
「ううん。 なんでもないよ。 それより、ただの三週間でよくそこまで『女の子』になれたね」
はるかは、少し呼吸をおいた。
「いや…。 まだ………」
まだ、人と話すときは頭で考えてから発言している。
言われるほど『女の子』になっているわけではない。
はるかは、その思考を隠すかのように続けた。
「ちょっと恥ずかしいから、言わないで。 それ…」
優はふっと笑い、言う。
「やっぱり、そうなんだ。 …そろそろ寝ようか」
「うん」
はるかは立ち上がり、照明のスイッチをオフにした。

 

「僕、大きくなったらきれいなお嫁さんになるっ」
謙二は、飲んでいたビールを豪快に吹き出した。
「……は、晴輝は男の子だろう…?」
「うん、でも僕、好きな人ができたんだ」
雑巾を手にした真美が居間に来た。
「その人って…?」
「うん。 かっこいい男の子だったなぁ…」
謙二は額に手を当てた。
「…まぁ、なれるといいな」
「うんっ」

 

……………。
そうだ。あれは小学四年の時だ。
何を思ったのか、そう言い出していた。
今となっては遠い記憶の彼方だが…。
夢の内容を整理したはるかは、ゆっくりと身を起こし、時計に目をやる。
午前七時半。起きるのにちょうどいい時刻だった。
立ち上がり、玄関に向かう。ポストには新聞が刺さっていた。
それを引き抜き、洗面台に歯ブラシを取りにいく。
そして、部屋に戻って座り、新聞のページをめくっていく。
数分後、読み終わった新聞をたたみ、再び洗面台に行き、口をゆすぐ。
日課に、ひとつ追加されていた。朝食の準備だ。
それが出来上がる少し前に、はるかは二人を起こした。
「んあぁ…。 母さん、今日の朝ごはんは何…?」
大橋は、目を擦りながらそう言った。はるかは思わず失笑した。

 

午後九時。
はるかの携帯電話の着信音が鳴る。その音楽から、相手は和馬だとすぐにわかった。
「もしもし~」
『あのさ、突然だけど、明日ヒマか?』
本当、突然だった。
「…うん。 なんで?」
『いや、大橋からディズニーランドのチケットもらったんだよ。 明日行ってこいって』
「なんで明日?」
『え!? あ、あぁ。 有効期限が明後日なんだよ』
微妙にキョドったのは気にしないことにする。
「じゃあ、せっかくだし、行こうか」
『ん。 なら、明日九時に迎えに行くわ』
「はいはいー」
ここで、電話は切れた。
今の電話を受けて、はるかは携帯電話を閉じながら呟く。
「…大橋…。 お前って奴ぁ…」

 

翌日。午前九時。
外からクラクションの音が聞こえた。
はるかは、荷物を持ち、施錠して外に出た。
「よぅ」
和馬は、エンジンのかかったバイクに跨ったまま、左手を上げた。
「…横着しないっ」
「いいじゃねーか。 ほら、乗れ」
「はいはい…」

 

一時間後。二人が乗ったバイクは湾岸道路の交差点で信号待ちをしていた。
はるかは上を見上げ、言う。
「私もバイクだったら、上走れたのにね…」
「ん? あぁ。 たまにはゆっくり走るのもいいだろ」
そういった和馬は、少し考え、続けた。
「ていうか、自分の呼び方変えたな」
「あ、うん。 優ちゃんに言われて…」
信号が変わり、和馬はクラッチを握る手の力を緩めつつ言う。
「なんて言われたんだよ」
「んと…、子供っぽく見えるって」
「確かにそうかもな。 ……って、運転、大丈夫なのかぁ?」
「うん。 一応、取り回しの練習ぐらいはしてたよ」
「ふむ…」
和馬は少し考え、左ウインカーを出し、路側帯にバイクを停めた。
「免許証、持ってきてるよな?」
「え? う、うん」
「じゃあ、ほれ」
彼はそう言い、前部座席から降りた。
「わぁ…、ほんと久しぶりだよ…」
はるかは、ハンドルを握り、体を前に寄せた。そして、和馬は彼女が今まで座っていたところに座る。
「じゃ、じゃあ…、行くよ?」
「あぁ」
ゆっくりとバイクを垂直にし、サイドスタンドをはらう。そして、発進。
「お。 安定してるじゃん」
「うん、まあね」
そのまましばらく走り続ける。信号機の直前で、和馬は突然言った。
「あ。 信号、赤」
「えっ!?」
はるかは急ブレーキをかけた。後輪のスリップはなく、やはり安定していた。
その間、はるかは信号機に目をやる。
青だった。
「ん、合格」
「ちょっ!? あぶっ…、危ないでしょ!」
「いいじゃねーか。 後ろに車いなかったんだし」
「………」

 

午前十一時。
二人はディズニーランドに到着した。
「まず、何に乗る?」
入園ゲートをくぐるなり、はるかはそう聞いた。
「うーん、ジェットコースターかな」
和馬がそう言うと、はるかは園内案内を広げた。
「じゃあ、あっちだね」
そう言い、横を指差した。
その方角に歩いていき、やがて搭乗口付近に到着する。
そこには、看板が立っていた。
『1時間30分待ち』
その看板にはそう書いてあった。
「………」
「…他、行くか?」
「そうだね…」
ひとまずその場を離れ、他の乗り物の搭乗口を回った。
『1時間45分待ち』
『2時間30分待ち』
『1時間待ち』
『4時間待ち』
次々と回るが、どこもこのような状況だった。
「誰がこんなに待つんだよっ!」
「まぁまぁ…。 最初のところ行こうよ」
「あぁ…、そうだな」
ジェットコースターの待ち時間は2時間に増えていた。

 

午後一時半。
「ひとつ乗っただけでこの時間か…」
縁石に座る和馬は、うんざりとした様子でそう言った。
「こんなもんじゃない?」
「昔はこんなに混んでなかった気がするが…」
そう言い、和馬は立ち上がった。
「まぁいいや。 なんか買ってくるわ。 何がいい?」
「うーん、任せるよ」
「そうか」
言いつつ、和馬は背を向け、歩き出した。
一人、縁石に座るはるか。
記憶の奥底に、何か引っかかるものがある。
その糸を手繰り寄せてみる。

 

ディズニーランド園内で、親を探して彷徨っている子どもがいた。
晴輝だった。
「おとーさーん。 おかーさーん。 …どこー?」
やがて、疲れてベンチに座る。
不安に苛まれ、涙がこみ上げてきた。
「うわぁーん。 おとーさーん!」
そこに、影がひとつ。
「おい、どうした?」
「ぐすっ…。 お父さんがいなくなっちゃった…」
晴輝が顔を上げると、晴輝より少し年上の子どもがいた。
「それじゃ、オレが一緒に捜してやるよ。 よくここに来てるから、詳しいんだぜ」
「ありがとうっ」
晴輝は頬を伝う涙を拭いながら立ち上がった。

 

二人は、手をつないで園内を歩いていた。
少年は、晴輝のほうを向き、言う。
「お前、何年だ?」
「ボク? 四年生だよ」
「そうか。 もう高学年なんだから、泣くなよ」
「うん…、でも…」
「男は言い訳しないっ」
晴輝は少し困った顔をした。が、やがて、決心したように目を輝かせた。
「…はいっ」
そこで、晴輝の目に二人の人物が目に入った。
「あっ! お父さんだ!」
「お、見つかったか。 じゃあ、俺は行くな」
少年は、握っていた晴輝の手を離した。
晴輝は彼のほうを向いた。
「あ、ありが…」
礼を言おうとするが、少年は既にやや離れた場所で右手を上げて、背を向けて歩いていた。
晴輝は、しばらく彼の後姿を見つめていた。

 

「……………」
そうだ。あの時、あんなことを思ってしまったんだ。
きれいなお嫁さんになる、と。
今は不可能な願いでもないけど…。
そう考え、はるかは苦笑した。
そこに、和馬が戻ってきた。
「どうした? 半笑いして…」
言われて、はるかは、表情を元に戻し、和馬のほうを向いた。
「ううん。 なんでもないよ」
「そうか。 ほら」
和馬はそう言い、左手に持っていたソフトクリームをはるかに手渡した。
はるかは彼に軽く礼を言い、ソフトクリームに口をつけた。
彼も腰を下ろして食べ始める。
食べながら雑談をしていると、はるかの目にひとつの光景が飛び込んできた。
彷徨う女の子。
やがて立ち止まり、泣きそうになる。
迷子だった。
そこに現れた彼女より年上に見える男の子。
彼は女の子に近づく。
二人は二、三言話し、あちらへと歩いてゆく。
何気ない光景だが、それを見つめてしまっていた。
それは、和馬も同様だった。
二人は顔を見合わせ、吹き出した。

 

午後七時半。
花火が夜空に咲き乱れている。
「こんなに近くで花火見たのなんて、久しぶり…」
はるかは、上空を見上げ、そう言った。
「確かに、機会がないからな」
「ところで…」
上を向いていたはるかは、首を戻しつつ言う。
「さっきから持ってたその紙袋、なに?」
「……忘れてた…」
和馬は、照れ隠しにこめかみを人差し指で掻いた。
「今日、何月何日だ?」
「え? うーんと…」
はるかは、かばんの中から携帯電話を取り出し、開いた。
「7月14日、だよ」
和馬はうなだれた。
「あっさりと言うか…。 ほれ。 誕生日プレゼント」
そう言い、先ほどの紙袋をはるかに差し出した。
「…あ。 忘れてたよ…。 ありがとう」
昨年は缶コーヒー一本だったので、さほど期待せずに紙袋から中身を取り出した。
中身は、バッグだった。
和馬はそっぽを向き、言う。
「いや、いつもその大きなかばん持ち歩いてるから。 手ごろなサイズのが欲しいんじゃないかな、って思ってな」
はるかは、きょとんとした。
そして、2、3テンポ遅れて口を開いた。
「あ、ありがと。 ちょうど見に行こうとしてたんだよ」
「そうか」
和馬は、まだ照れくさそうにそっぽを向いている。

 

午後九時。はるかの家の前。
二人はそこに到着した。
はるかは和馬のバイクから降り、後部のメットホルダーに被っていたヘルメットを引っ掛け、言う。
「今日は楽しかったよ。 ありがとう」
「あー、いや。 礼なら大橋に言ってくれ」
和馬は少し視線を逸らしつつ言った。
「うん。 彼女にも言っておくよ」
「あぁ。 じゃあな」
そう言い、彼は発進しようとした。そこで突然、はるかは叫ぶ。
「あっ!」
発進の動作から、急停止。バイクのエンジンは小さな、独特な音を立てて停止した。
「……なんだ?」
はるかは、一呼吸置いた。
「あのさ…。 十四年前のゴールデンウィークに、ディズニーランド行った?」
和馬は、眉をひそめた。
「あん? なんで?」
「いや、ちょっと気になって…。 ほら、実家が千葉だったよね?」
「あぁ」
「近くだから、よく行ってたんじゃないかな、って思って…」
彼は少し考え、言う。
「俺が小学六年の頃か…。 たしか、行ったな」
「そこで、迷子の男の子の手を引いて一緒に親を捜さなかった?」
「あー。 そんなことしたなぁ。 男のくせにめそめそ泣いて………って、なんで知ってるん…」
和馬は、はっとした。
「…まさか、あのときのって……?」
はるかは、自分を指さした。
「多分…、私だよ」
お互い、沈黙する。
街路灯の周りに羽虫が群がっている。
二人の横を猫が通り過ぎる。
やがて、和馬は口を開いた。
「…偶然ってのも、あるんだな」
「…うん」
その、微妙な空気のままで二人は別れた。

 

午後十時。
はるかは、布団に潜り込んで、何度目かの寝返りを打った。
瞼は、なかなか下りてこない。
部屋の中は、エアコンの動作音に支配されていた。
『きれいなお嫁さんになる』
幼き頃の大谷を見ての言動だった。
これは、偶然なんかではなく、運命だったのかもしれない。
どう考えても出来過ぎている。
幼少期に、男の子に惹かれた事。
大谷と、バイト仲間になり、やがて、友達になった事。
俺が…、じゃなくて、私が、女になった事。
すべてが一本の糸で繋がれてしまった。
これを、運命といわずに、なんと言うのだろう…?
そう考え事をしているうちに、はるかは眠りへと落ちていった。

 

翌日。午後五時。
はるかは、焼肉屋のエプロンを着て、ホールに出ようとした。
そこで、和馬と出くわした。
「あ…」
二人の間に、また微妙な空気が流れる。
はるかは、恥ずかしそうに頬を赤らめ俯き、上目遣いで和馬を見て、言う。
「こ、こんにちは…」
和馬は、こめかみを人差し指で書き、そっぽを向いた。
「お、おう」
その光景を遠目で見ていた仲間たちは、口々に言う。
「あの二人、なんかあったのか…」
「…さぁ?」
「禁断の恋はどこまで加速すr」
「あんたは黙ってなさいっ」
優は、大橋の後頭部を小突いた。

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